今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

月曜日が待ち遠しくなる会社(中編)

(写真:オレンジ・タワー)

幸せ計画

社長、五島政則、58歳。
癇癪持ちで気難し屋、何かに感情をぶつけなくては生きられないタイプ。
業績が悪ければ怒り出し、業績が良くても逆に不安になって怒りだす。
とにかく社員をつかまえては頭ごなしに叱りつけるものだから、せっかく採用した社員が数ヶ月と居着かない。
気がつけば古参のロートルばかりになって、これじゃいけないと流石に焦った。それで少し感情を抑えようとしたが、返って我慢が過ぎて体調がおかしくなった。
困った挙句に、五島はまだ若手社員だったさちこさんにある提案を持ちかけた。
「俺が我慢できなくなった時に、何にも言わずに怒鳴られてくれ。その代わり、大卒男子並みの給料を出すから。」
つまり、さちこさんがお金に困っているのを知って、自分の感情のはけ口に利用しようとしたのだ。
本来、あまり心臓の強くないさちこさんは、とても気が乗らなかったが、これから妹たちにお金がかかることを考えて、ついうっかりと「はい」と言ってしまった。
ところが、さちこさんは自分の考えの浅はかさをすぐに思い知らされることになった。
五島の癇癪持ちは尋常ではなく、ひどい時は10分おきに社長室に呼びだされて、頭ごなしに怒鳴りつけられた。
それも、会社のことや他の社員のことなら聞き流すこともできたが、五島はほとんどさちこさんのことを個人攻撃した。
さすがに、若いさちこさんは気を病んで、真剣に退職を考えた。しかし妹たちの学費や生活のことを考えるとやめるにやめられなかった。
それに、五島は言葉以上に給料面ははずんでくれた。
だから、さちこさんは歯を食いしばって15年耐えた。それも、妹たちのため、彼女たちを一人前にするまで。
おかげで不眠症に悩まされたり、胃に穴が空いたり、偏頭痛持ちになったりと散々だったが、おかげで妹たちを無事に全員送りだすことができた。
でも・・・
このところ、さちこさんは思う。
あと自分は何のために頑張れば良いのだろう。
もう、必死に守ろうとした妹たちはいない。
なら、これからは自分のため?
あるいは、大卒男子並みの給料のため。
いや、その給料も5年前から据え置かれて、少しも上がっていない。
むしろ、割りを食っている気がする。
確かに、五島も少し穏やかになって、癇癪を爆発させるのは1日に1回になった。
でも、やっぱり15年つきあっても、五島には慣れない。
周りの男たちにも、いい加減嫌気がさす。
もう、潮時かしら。
ならば、これから少しずつでも、私自身のために生きよう。
そんなさちこさんなりの幸せ計画がひっそりと動き始めた。

レディ、サプライズ

妹たちが家を出ても、さちこさんは倹約の癖が抜けなかった。
それで、少し銀行にお金が貯まっていた。
まずは、その半分を下ろした。
全部でないところが、さちこさんの堅実なところ。
さて、そのお金でどうしようか?
まずは、今まで足の向かなかったビューティサロンに行ってみた。
そこで、化粧の仕方を勉強して、勧められるままに化粧品も買い込んだ。
服も新調した。靴も時計も買った。
鏡の前で服を着替えて、しっかり化粧をして、ポーズを決めてみる。
どう、倖子?
なかなかの女でしょ。
もう、うすいさち子、なんて言わせない。
私は、前の自分から脱皮するんだ。
もう、自分は自分のために生きるのだ。
みんな、私を見て驚くだろうな。
そう、きっとレディサプライズって、呼ばれるに違いない。
そんな、月曜日が待ち遠しい日曜日の昼下がりだった。

毎日、ちょっとずつ

「あの、社長、何か気がつかれませんか?」
「何がだ。うすい。」
「あの、うすいではありません。宇津井です。」
「そんなことは、どうでもいい。ちゃんと俺の話を聞いているのか!だいたい、一社員のお前が、社長である俺の話を遮るとは何事か!」
さちこさんは、腑に落ちなかった。
私は、すっかりうすいさち子からも、幸せのお局からも脱皮したんだ。だから、そんな私をみんなは違った扱いをして当然だ。
最大級に念入りなメークをして、服装もお洒落に決めてきたのに、男どもときたら少し顔をしかめただけで、後は何もなかったような態度。
五島社長にしても、少しは私に対する扱いが変わると思ったのに、いつも以上に酷い悪口雑言を浴びせかける。
たまりかねて、つい口答えをしたら、いつもの倍の時間怒られた。
「はあ〜、いらないこと言うんじゃなかった。」
疲れ切って自席に戻ったさちこさんを、庄田がニヤニヤしながら見ているのに気がついた。
そして、ボソボソ何か言っている。
だけれど、いつもの通り小さな声。どうせ聞こえないんだし、無視しようと思ったが、その一言はハッキリ聞こえた。
「お局のクセして、盛りでもついたか。」
それにさちこさんはカーッと頭に血が上った。そして、近くにあったキーボードを投げつけようと振り上げた。
さちこさんの一瞬見せた剣幕に庄田だけでなく、その場にいた正木も度肝を抜かれた。特に、庄田はお漏らししそうな顔をした。
でも、行為に及ぶ前に冷静な自分がどこかからか降りてきた。
「そうよ、私はうすいさち子なんだもの。少しくらい着飾っても、みんな関心なんか湧くわけないわ。」
そしてキーボードを下ろして、がっくりと肩を落とした。
「すいません。早退します。」
いたたまれなくなったさちこさんは、急いで事務所から飛び出した。
五島が社長室からさちこさんを呼びだして事務所にいなかったりしたら、誰がが代わりに被害に遭うのだろう。でも、構うものか。
もう、こんな会社ヤメテヤル。
この足で、すぐ辞職願いのための封筒と便箋を買いにいくのだ。
会社の玄関を出て右に曲がって駅に向かう。そして、途中ガラス張りのビルの前を通った時、そこに映る自分を見た。
「は・・・。」
昨日までは、あんなに自信満々だったのに、今見るとチグハグ感がハンパない。
やはり、私はこの程度なのか・・・。
急に頭に上った熱が引いていくのを感じた。
(こんな私がどこか他の場所出て生きていけるだろうか?)
そして、狭い世界しか知らない悲しさで、さちこさんはせっかく踏み出した足を止めてしまった。
もちろん、今まで「ヤメテヤル」は数え切れないほど口にした。
けれど、結局ここにいる。
どうせ、こからは離れられないの?
ガラスに映った自分の姿を見ながら、諦めに似た気持ちが広がっていく。
この会社、出社が嫌で嫌でたまらない会社。
でも私の人生は、この会社そのもの。
癇癪持ちの五島も、威張り屋で中身のない正木も、人間的にどうかと思う庄田も、調子の良い牧田も、みんな私の一部だ。
みんな私に依存しつつ、私もみんなに依存している。
ならば、
どうせ離れられないのなら、
少しでも良い場所に変えるしか、生きる術はないのかも。
だから、
ここで生きていくのなら、もう背伸びも、へんな期待もしない。
昨日より今日、今日より明日、ちょっとずつだけ頑張るしかないんだ。

(後編に続く)