今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

負け犬の遠吠えはしない

(写真:ゴールド イン ゴールド その1)

成功者の足を引っ張っるな

いかにも裕福そうな男性がテレビに出て来て、しみじみと言いました。
「どうして、日本人は成功した人間を素直に受け入れられないのだろう。
どうして、すぐに足を引っ張ろうとするのだろう。」
なるほど、成功者もなかなかたいへんです。
成功するという事は、多くの人から注目される事でもあります。
私たちが一度は出てみたいと思っているテレビが、向こうからすり寄って出演を依頼してきます。
雑誌のインタビューにも度々登場し、いかにもドヤ顔で写真撮影されています。
私はそれを見るたびに、成功者だからドヤ顔なのか、ドヤ顔をするから成功者なのか分からなくなります。
しかし、成功者は成功者のステータスを守るために、このようにマスコミにも登場し、いかにも幸せ一杯のところを見せなくてはなりません。
対して、私たちはそれを見て、羨ましさ半分、妬ましさ半分で酒の肴にしたり、いかにも成功者然としている人の没落を心の底で願っています。
そんな心を表には出していないつもりでも、ひどいネットの書き込みや、白々しい態度で、私たちの気持ちは成功者たちをちに伝わっているのかも知れません。

所詮は負け犬の遠吠え

言わば、これは有名税です。
有名な人間や成功者は、道を歩けば人から指さされ、少しおかしなことを言ったりやったりすると、さも重大事件のように拡散されます。
そして、大衆の求めに応じて愚かしいこと、例えば自宅のプールにシャンパンを満たしてパーティをするとか、をしなければなりません。
それを見て私たちは、有名人はどうしてこんなに愚か者ばかりだろうと、嘲り笑っては留意を下げています。
しかし、寒々とした狭い家で、テレビの前に座って膝を抱えている寂しい人間、それは私たちの方です。いくら成功者を嘲り蔑んでも腹は膨れません。
そう、所詮は負け犬の遠吠えです。
いくら成功者たちを引きずり下ろそうとよってたかって追い詰めようが、彼と一対一で対したら青菜に塩です。自分の小ささに情けなくなるのは私たちの方です。

恥ずべきは自分の種まき

なぜ、私たちは成功者に頭が上がらないか。
それは、私たちが無為に過ごして来た時間に、一生懸命向上心を持って努力をした人たちだからです。
私たちは、自分がサボッてしまった時間を思って小さくなるしかないのです。
成功している人はそうなるべくして成功を手にし、私たちはそうなるべくして成功から縁遠い生き方をしています。
いや、自分は周りに恵まれなかったんだ。自分もシリコンバレーに居れば、今頃IT長者になっていたに違いない。
なかなか自分に原因を求めるのは勇気がいるので、すぐ私たちは周りの、環境の、社会の、政治の、経済のせいにします。
でも、本当の成功者は、周りの所為にしないし、また影響もされません。
何故なら、蒔いた種は必ず生えることを知っていますから。

未来は負けない

今は成功から縁遠い自分です。
マスコミやテレビに登場する星の数ほどの成功者たち。
あんなにたくさんいるのに、その中に入っていない自分は実に残念です。
しかし、現時点では負けていても、未来までは負けません。
今の種まきが負けていなければ、必ず巻き返せる時が来ます。
前にこんな痛ましいニュースがありました。
ゴミ置場で遊んでいた子供が、間違って捨ててあった冷蔵庫に閉じ込められたのです。
子供は最初一生懸命「助けてえ」と叫びましたが、だんだん薄くなる空気に叫ぶ元気をなくしてしまいました。
翌日の朝、子供は冷たくなって発見されたそうです。
それを聞いた人がこう言いました。
「自分なら、決して諦めない。最後の一息まで叫んで叫んで叫び抜く。」
そう、哀れな子供は少し叫んで結果が出なかったので、運を天に任せてしまいました。
しかし、自らの運命を開く人は決して種まきの手を緩めません。
自分の運命を作るのは、常に今の自分だと知っているからです。
自分も結果が出ないことを簡単に腐らずに、芽が出るまで弛まず種まきです。