今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分の直感に素直な強み

(写真:夕映えの木)

カンです

「その根拠はなんですか?」
「それは・・・俺のカンです。」
刑事ドラマじゃあるまいし、現実ではなかなかそう言うのに勇気がいる。
しかし、物事の始まりはたいてい「ピン」と来るところから。
まず閃かなければ始まらない。
しかし、閃きだけでは周りを納得させられないし、自分自身も怖いから、後は一生懸命裏取りの調査をする。
だから、根拠はたいてい後から付いて来る。

優れた直感は熟考に勝る

カンは決して侮れない。
よく天啓と言うが、でも閃きは空から勝手に降りてくるものではない。
我々は長い時間をかけていろいろな情報を蓄積する。毎日見ていること、聞いていること、嗅いでいる匂いや、味わったもの、触った感触。あるいは、感じたこと、考えたこと。それを全て記憶と言うデータベースに溜め込む。容量にしたら、テラバイトくらいでは到底及ばないだろう。
よく「年をとると覚えが悪くなる」と言うが、むしろデータ容量が大きくなりすぎて、検索に時間がかかっていると言う方が正しい。
しかし、我々は自分がそんな巨大なデータベースを維持している自覚がない。ましてや、それを自由自在に活用などできていない。
よく我々がする熟慮や論理的思考とは、外部のドキュメントやツールの力を借りて、自ら記憶の倉庫に下りて行き、情報を探し回るようなもの。
対して、直感とは自律的な脳の働きではないが、その記憶のデータベースを電光の如く駆け抜け処理をする。そして、今自分にとって必要な情報を瞬時にレコメンドする。しかし、その情報の根拠となっているデータはあまりに容量が大き過ぎて、整然とした形では提供されない。
そのように直感とは、はっきりとした形には現れないが、脳のもっとも優れたデータ処理の働きである。

自分の直感に素直な強み

すぐに答えを導き出すだす人がいる。
自分の場合、何かを判断する時に、いろいろな可能性を考えてしまう。だから、判断をした後の可能性が枝分かれし過ぎて、決断がなかなか下せない。さぞ、人からは優柔不断で頼りなく見えるだろう。
それに対して、決断の早い人は竹を割ったように明快である。
「あれはこれ!それもこれ!」
しかし、同時にこんなことも言う。
「何か嫌だなあ。」とか、「ピンと来ないなあ。」
決断同様、感覚が口に出る。
でも、理屈の上では問題は見つからない。
だから、そのままGOして貰いたいのに、感覚的に納得できないから待ちが入る。
主観より客観、感覚より数字を優先して貰いたい。また、近代合理主義からすれば、その方が正統である。
しかし、我々の目に見えていることが全てではない。むしろ、見えていない部分にこそ多くの真実がある。
だが、見えていない部分をどう分かれと言うのか。分からないことは、どこまで行っても分からない。
その時、働くのが直感である。
見えてはいないけれど、何かありそうな気がする。かつて経験した膨大なデータ、そして感じ学んだこと。
それらを瞬時に総動員して、見えないものの存在を知覚する。
その能力に長けた人は決断が早い。
そして、自分の直感を頼みにできる。
直感に素直であることは、その人の最大の強みである。

感覚を磨く

職位によって必要なスキルが異なるのは周知のことである。
下位の職位は、何よりルールを理解する能力と、そのルールを間違いなく遂行する技術を求められる。
それに対して、職位が上がるにつれ必要になるのは感覚の鋭さ。
感覚は理屈ではない。
もちろん、付けようとすればいくらでも理屈の後付けは可能だ。しかし、都度理屈を考え、ルールに照らしていては迅速な判断に間に合わない。
直感的に速やかな判断をすることが求められる。
以前上の人から、「直感的に判断できないのは情報が足りていない証拠だ」と言われた。
直感と情報、相反することのように思える。
だが、直感とはデータを処理する電光の働きだから、直感を構成するのはやはり情報である。
経営の三大要素と言われる「ヒト」「モノ」「カネ」。それに近頃は「情報」を加えて四大要素と言われる。
職位が上がるほど情報は大切。
しかし、それは直感が大切だから。
直感を生むためには情報が必要。
経営者はよく「ピンと来る」とか「来ない」とか、「心に響く」とか「響かない」とかを口にする。
そこまで、自分の感覚や直感を大切にする。
感覚を研ぎ澄ませ、直感が眠らないようにする。
経営者のそんな感覚は、つかみ所がないけれど、我々もそれを理解し、少しでも近づけるよう感覚を研ぎ澄ませたい。