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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

事業の鮮度

(写真:スカイライン)

今の旬

お金儲けは真剣勝負です。
昔は、土地が主な生産材でしたから、土地を巡って弓や刀で争いました。
土地が豊かで全ての民を養うことができれば良いのですが、十分な食糧が行き渡らない時は必然的に口減らしを行います。
つまり、負けた方は兵士のみならず、農民や普通の庶民までも皆殺しになりました。
そのように昔の戦争は非常に過酷だったのです。
それに比べて現代は「ビジネス戦争」と言いますが、一滴の血が流れるわけでもありません。昔に比べれば平和な戦争と言えます。しかし、その根本原理はなんら変わりません。
土地を巡っての争いの代わりに、今は消費者を取り合って潰し合いをしています。
消費者を奪われた方は生きる糧を失って退場しなければなりません。言わば、会社同士で殺しあっているのです。
また、肥沃な土地があれば、少しでもおこぼれに預かろうと皆殺到しました。
そしてそこでもまた、分け前を少しでも多く取ろうと血で血を洗う戦いとなります。
それは、会社が今旬のビジネスを目掛けて次々と参入している姿に似ています。

明日の旬

旨味のある場所は、当然皆の知るところとなります。
人が良い目を見ているのを黙って見過ごす手はありません。我も我もと群がって、その一部なりとも手に入れたい。
しかし、気がつけば無数のライバルが周りに現れ、熾烈な争いの真っ只中に置かれます。
そして、自分も相手も潰しあって、最後一番強いものが総取りをします。
旬のビジネスに参入するのは、ちょうどそのようなものです。
しかも今は旬とは言いながら、そのニュースが語られ始めた時と現時点ではタイムラグが発生しています。つまり、既に絶頂期を過ぎ、食い尽くされた後なので旨味はさほど残っていません。
今旬と言われる事業の本当の姿は、近い将来必ず伸びると確信した人がいて、早い時期から資本を投下して準備を始めたものなのです。やがて予想に違わず、そのビジネスが伸び始め、それまでの資本が回収できて、さらに大きな利益をもたらします。
その絶頂期を旬と表現します。
と言うことは、私たちの耳に届く時は、一番良い時期の残像に過ぎないのです。
そして、最初から取り組んだ会社は十分回収できて、既に店じまいに取りかかっています。
つまり私たちは、今の旬では手遅れなので、明日の旬を求めなくてはなりません。

事業の鮮度

この話は、学生の進路希望でもよく聞かれます。
就きたい職業を聞くと、学生はたいてい今社会的に注目されている仕事をあげます。
あのユーチューバーなどは良い例ですね。
しかし何年後か、彼らが世の中に出る頃には、もう存在しない職業となっているかも知れません。
現時点旬と言うことは、もう鮮度が落ちかかっていることを意味します。ですから、今からそこを目掛けて走り出しても、盛んなりし宴の残像が残るばかりです。
だから、「学生諸君。世間の評価に左右されず、自分の本当にしたい仕事を目指しなさい」と訓示されます。
医者にしろ、公認会計士にしろ、弁護士にしろ、かつては無条件に将来が約束された職業とみなされたことが、今はもう変わりつつあります。
同じように、私たちの事業の鮮度も成功モデルの後追いでは保たれなくなっているのです。

鮮度を生み出す

動物の中には、他の動物が食べないものを主食として繁栄しているものがいます。
例えば、あのコアラがそうです。
コアラが主食としているユーカリの葉には毒素が含まれています。それを他の動物が食べると、いろいろの障害を起こし、過ごせば死に至ります。しかし、コアラは腸でその毒素を分解できるので、いくらユーカリを食べても全く平気です。
これで、コアラは他の動物と争うことなく生きていく糧を手に入れることができるのです。
つまり、これが最強の競争戦略です。
ユーカリの木をコアラがどんなに美味しそうに食べても、他の動物はユーカリを横取りしようとは思いません。コアラにとって、旬の宴はずっと続くことになります。
旬は誰かが見つけるのを待つのでなく、自ら見つけるものです。
そして、それが他の会社では手を出せないようなものなら最良です。例えば、市場が小さ過ぎて参入の旨味がないとか、手間がかり過ぎてとても真似できないとか、技術が特異過ぎてとても追いつけないとか、何かライバルを諦めさせるような理由があれば良いですね。
しかも、自分たちはそこで十分利益を上げて生きていくことができる。
そうしたら、宴はずっと続くのです。
そんな自分だけの旬を作れたら、事業の鮮度はずっと保たれます。
すなわち、コアラのように競争しないことこそ、鮮度を自ら生み出す最善の競争戦略です。