今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自問

(写真:ナゴヤの黄昏れ)

覆車

「前車の覆るのを見て、後車の戒めとせよ。」
諺や格言の常として、聞かされた時はあまり心に響きませんが、実際その状況に身を置くと、その真実性が身にしみるものです。
この諺もそうです。
前を走っている車が、急に車輪を取られてひっくり返ります。
後から続く車は、穴でも空いているのかと警戒し、同じ場所を避けようとします。
言わば、それだけの話です。
至極当たり前に思えますから、深く心に止める人は稀でしょう。
しかし、この諺を後世に残した人は、前車の覆るのを見ながら、そのまま進んでしまい、自らも覆った人なのです。
そして、前車を戒めとしなかった自らも覆車として、後に続く私たちを戒めているのかも知れません。
浅く聞いてはならないでしょう。

自問、自分ならどうするか

目の前に覆った車があった時、私たちはどうするでしょう。
やはり、前段の如く進路を変えて転覆を避けようとします。
危機があれば、なんとか手段を講じて避けようとするのは、もっとも人間らしい行動です。
実際、道を走っていて、 前の車が事故を起こせば、強くブレーキを踏んでなんとしても衝突事故を避けようとします。
これは、殆ど反射的な反応であり、本能の仕事かも知れません。
ですが、その危機が時間をかけてゆっくり訪れる場合は、私たちは意外と無防備にその渦中に飛び込みます。
たとえば、長年の不規則な生活や暴飲暴食で身体を壊した人がいます。
それは私たちの親かも知れませんし、近しい知り合いや、あるいは著名人かも知れません。
いずれにしろ、私たちの周りには覆った車がたくさん有ります。
そこで、真剣な自問をしなければなりません。
「ならば、自分はどうするか?」

失敗をする先人に感謝

当然、生活習慣を正し、寡食に努めて同じ轍を踏まないようにします。
ところが、頭では分かっていても食欲に引きずられ、お酒の場の雰囲気に飲まれ、タバコもやめられずに、結局自らも覆ってはいないでしょうか。
その証拠に、先人がいくら身をもって教えてくれても、病院の数は一向に減っていません。
私はよく子供の頃教えられました。
「失敗した人を馬鹿にしてはなりません。失敗した人には感謝しなさい。」
その真意までは分かりませんでしたが、すごい言葉だなあ、と感じたものです。
病気を例にすれば、お酒を過ごして肝臓を悪くした知り合いがいるとします。
そんな時、私たちはお酒の怖さを知ることになりますが、だからと言って楽しい酒場通いを止めようとはしません。
少し反省はするものの、同じように飲んでいても悪い数字に引っかからない自分の鉄の肝臓に気持ちを強くするのがオチです。
しかし、それは根拠のない自惚れなので、いずれ自分にも同じ結果が出るのは明らかです。
それは、先に失敗して見せてくれた知り合いに対する感謝を欠いた報いです。

我が事にするから学びがある

あるいは、会社の同僚が大きなミスをして、降格処分を受けたとします。
その同僚が出世頭で肩で風を切っていたりすると、それまでの妬ましさも手伝って、彼の失敗を喜ぶ心はないでしょうか。
しかし、失敗する人を下に見て、自己満足の足しにしているだけでは何の学びもありません。
ならば、自分が同僚のような難しい仕事を任されたらどうするか?
やはり手も足も出ずに失敗を繰り返すようなら人のことは言えません。
いや、むしろわざわざ目の前で失敗して見せて下さっているのに、そこから何も学びがないとすれば遥かにお粗末です。
いずれ自分も彼の立場に立たされたらどうするか?
何故彼が失敗をしたのか?そして同じ失敗をしない為にはどうしたら良いだろう?
その学びができるのは、先に失敗した同僚のおかげです。
だから、彼には感謝して、少しでも早くその失敗を挽回できるよう周りが手を貸してこそ本当です。
そして初めて、生かし生かされ、教え教えられる素晴らしい環境に身を置くことができます。