今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

i would(後半)

(写真:母つばめ)

幸せの思い出

まさか、話しながら少しずつ歳を取っているんじゃないだろうな。
そう言えば、さっき生まれたはずの息子が、彼の話の中ではどんどん成長している。
いつの間にか小学生になり、中学生になったと思ったら、今度は大学へ進学すると言う。
「うちの息子がね、なんですか、美術の大学に行きたいと言うんですよ。まあ、あまり裕福な家でないから、教材費や画材のお金がいくらかかかるか心配でねえ。でも、やっぱり親はダメですね。子供にせがまれると、ギリギリのところでは許してしまうんです。」
ちょっと待てよ、あんたおかしいだろう。
なんで、息子がそんなに早く成長するんだよ。
それによく聞けば、ほとんど俺の思い出と被っているじゃないか。
まさか、あんた興信所の調査員がなんかで、今付き合っている彼女の親が別れさせようとして、嫌がらせを頼まれたのか。
しかし、そんな俺の思いに関係なく彼は話し続けた。
「その子供がね、やっと独り立ちをしましてね。自分と同じような現場で頑張り始めたんです。やはり、蛙の子は蛙と言うか。でも、精一杯頑張っていれば、私みたいに良いこともあるって、それを伝えてやりたいんです。」
そう言ってこちらを向いたのは、いつも見慣れた・・・
親父
その人の顔だった。
「あ、親父・・・。なんで?なんで、ここにいるんだ。」
しかし、親父は相手が息子と気づかないように、ゆっくりと穏やかにしゃべり続けた。
「息子に言わせれば、判でついたように面白みのない平凡な人生を送ってきたように見えるんでしょうな。でも、その実、平坦なんてもんじゃなかった。毎日、毎日、仕事に追いまくられて、息つく間なんかありゃしない。それで、疲れ果てて家に帰れば、あとは夕食を食べて寝るだけ。それでも、全ての力を傾けて会社員人生を勤め上げました。」
決して家では吐かない親父の本音だった。
「それも、いよいよ終わりになって、まだ60の身で会社から放り出されるのかって覚悟していたんです。そうしたら、ある時、社長から直々にお呼びがかかって・・・そりゃ、びっくりしましたよ。そんなに大きな会社ではないけど、それでも社長と言えば雲の上の人ですからね。」
「社長は、私にソファを勧めて下さって、こう言うんです。
『長い間ご苦労さん。』
てっきり、退職前の労いだと思いましたよ。
そうしたら、
『これから、どうしますか?もし、あなたさえお嫌でなければ、もう少し力を貸して貰えませんか?いや、出来ればいたいだけいて欲しい。会社の規定で給料は多くは出せませんが、あなたのような人を手放すのは勿体ない。』
正直涙が出ました。私なんか、ただ言われたことをこなすしか能のない人間で、社長は気にもかけていないと思っていましたから。
人から見ればつまらん人生かも知れんが、私なりに山あり谷あり、そして幸せな人生を送ってきました。
まだ息子は夢ばかり見て、地に足が着いていないところもあります。でも、頑張って生きていけば、ささやかで平凡でも必ず幸せな人生になります。
それを伝えたいのですが、なかなか最近ゆっくり話す機会がなくてねえ。」
そう言った親父の姿は少し透けて見えた。

遠い背中

「お、親父。」
声をかけた俺に答えを返さずに、親父はどんどん店の薄暗がりに溶け出して言った。
そして、最後、飲みかけのグラスだけが残されていた。
その時、呆気にとられていた俺の携帯が不意に鳴った。
見慣れない番号だ。
どこからだろう。
出てみると、少し緊張した女性の声がした。
お袋だ。
「なんか、あった?」
「ごめん。今病院なの。私、気が動転してあなたに連絡することが遅くなって。」
「病院?大丈夫?」
「あの・・・お父さんが急に倒れて、救急車で運ばれたの。それで、しばらく意識がなかったんだけど、今目を覚まして。」
「脳梗塞かなんか?」
「そうなの、対処が早かったから大したこと無くて良かったわ。
でも、お父さん、変なこと言うの。今まで、あなたと一緒に居たんですって。」
やはり・・・
今まで、ここにいたのは親父だったのか。
つまらない平凡な人生。
親父に対するそんな思いはやはり変わらない。
でも、人生を過ごしてみて、同じような生き方をしてしまっても、決して後悔なんかしなくていい。
みんな一生懸命生きていて、それでも平凡で終わっても恥じなくていい。
そんなことをわざわざ言いにきた。
そんな親父の不器用な人生。
でも、偉いと思う。
いつも見てきた背中が少し遠く思えた、そんな夜だった。

(おわり)