今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

許容されるまで待つ

(写真:満開 さくら、薄紅と紅 その1)

異質への参加

今まで一緒に釜の飯を食べていた人たちと離れて、新しい輪に加わる。
郷に入っては郷に従え、と言われるから、まずは受け入れられるよう努力する。
しかし、とかく他所者には厳しいのが日本人。
なかなか遠巻きにして近寄ってはくれない。
そして、変なことをしないか、見ていないようで、しっかりとこちらの動きを監視している。
少し失敗をすると殊更に騒ぎ立てて、「ほら言わんことじゃない」と足をすくおうとする。
どうして簡単に受け入れて貰えないか、ハッキリ言って消耗する。

自分流を抑える

人間はなぜ他人を受け入れ難いか。
それは、人間が一人一人自分のルールを持っているからである。
自分のルールを尊重してくれる相手は好きになり、自分とは違うルールを押し付けてくる相手は許せない。
勢い依怙地にもなる。
こちらは、普通に接しているつもりでも、いつも厳しい反応を返す相手に混乱する。
自分の何が悪いのだろう。
自分は普通に接しているだけなのに。
そもそも何か理由があって、腹に一物持っているのだろうか。
「それじゃ、何を言っても無駄だな」と癇癪を起こしたくもなる。
しかし、自分の普通とは何だろう。
それは自分のルールの中での普通に過ぎない。
普通、普通と言いながら、相手に近づいていく自分は、相手にとって勝手なルールを押し付けている人間かも知れない。

ルールこそ得難いものなり

結局、相手に受け入れて貰うには、相手のルールにこちらから合わせて行くしかない。
つまり、自分のルールは取り敢えず引っ込めて、相手のルール通りに振る舞うこと。
しかし、そのためには相手のルールをよく知る必要がある。
そこで、もう一つ問題がある。
ルールさえ分かれば、何でもうまくやれる、そう自惚れていると痛い目にあう。
そもそも「あなたのルールに合わせるから教えなさい」、そう申し出てもすんなりと教える人間なんかいやしない。
相手のルールはその人の世界の当たり前。
そんな当たり前のことすら分からぬお粗末な人間になぜそこまで労を取るのか。
結局、厳しい言葉で門前払いをされる。
だから、みんな人のルールを教えて貰うのに苦労している。
よく言う根回しなんかもそう。
手を尽くして、相手のルールを教えて貰おうとしているのだ。

許容されるまで待つ

ルールを知って相手に合わせられるのが一番確実だし、早く受け入れてもらえる。
しかし、そうでなくてもなんとなく時間が解決することもある。
それは長い時間見ている間に慣れてきて、それで許し、許されてしまう場合だ。
だから、ルールがぶつかったら、許容されるまで待つ。
もちろん、相手が不快に感じている以上に、自分も相手のルール無視の言動や、感情的な言葉に腹が立つ。
それも、許容されるまでの辛抱と、取り敢えず許す。
こちらまで感情的になれば、許容はかなり遠くなる。
まずは焦らない。
そして、相手のルールを理解しようとする。
それでも、なかなか相手のルールが分からず、分かっても合わせることが難しい。
でも、いずれ諦め、理解し、許容する。
それまでは取り敢えず待つ。