今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

プロセスの途中で失敗を恐れることは、最終的な失敗

(写真:プリティーピッグ)

プロセスの途中で失敗を恐れることは、最終的な失敗

一旦志を持って始めたことでも、もし途中で不安に襲われ迷いが出たら、その取り組みはまず上手く行かないだろう。
自分なりに、今日の題をそう解釈してみた。
こんな話がある。
・・・
夜、桶の中に一匹のネズミが落ちた。
ネズミは、なんとか桶から外に出ようとして、側に取り付いて齧り始めた。
しかし、取り付いたところは、木が固くて厚くて、とても齧り通せそうにない。
そこで、ネズミは場所を変えてまた齧り始める。
ところが、そこも固い木に阻まれて諦めるしかなかった。
ネズミは、場所を変えては齧り続けたが、どこも途中まで齧りはするものの、最後まで齧り通すことはしなかった。
かくて、一晩中桶のあちらこちらと齧り続けたネズミは、ついに力尽きて明け方に近く死んでしまった。
もし最初齧り始めたところを、そのまま齧っていれば、やがて木を食い破って外にでることができただろう。

プロセスの前に不安を無くする

ネズミにとって、木を齧り始めることはプロセスである。
そして、どこに取り付いて齧り始めるかは事前の計画に当たる。
ネズミの知恵では、よく調査して、一番齧り通せる可能性のあるところを探すことは無理だ。だから、少し齧っては止め、少し齧っては止めと、実を結ばない徒労を繰り返すことになる。
しかし、ネズミならぬ我々は、事前に多くの情報を集めることができる。そして、プロセスの前に、成功の確率を少しでも高められる。
以前これについて、「3日活動期間があるのなら、うち1日乃至、2日は計画に当てて良い」と言われたことがある。
とかく、体育会系の「気力、根性、活動量」が言われていた時代、事前の準備に時間をかけよと言われることが、とても新鮮だった。
体育会系の根性論では、結果より活動量が大事。どれだけ苦労してやっているかで、自分も満足し、周りも認める。
しかし、今時スポーツでも、一生懸命、ただやみくもにやれば試合に勝てるなどと言う指導者は皆無だろう。
もし、そんなことをすれば、桶の中を一晩中齧り続けたネズミに等しい徒労になるばかりである。

見通す力

計画に時間をかけるのは、プロセスがとても重いから。
なぜなら、プロセスが始まれば、時間や体力、お金が動く。
伸びしろがあって、やったらやっただけ結果の出た時代ならまだしも、全ての人が僅かな成果の差を競ってしのぎを削る時代、時間も体力もお金も、よく考えて使わなければならない。
野球にしても、勝ちを拾うために最初からエース級を登板させていたら、投手は決勝前に力尽きる。
期間の限られた地区大会なら、最初から最後まで、全力を投入してもなんとか乗り切れようが、全国を目指す時や、ましてワンシーズン戦うプロの場合は戦力の投入には強弱が求められる。
このように、成し遂げようとする目的が大きければ大きいほど、最後までプロセスを見通す力は必要になる。また、それに比例して、計画には時間がかかるのである。

繊細に計画し、大胆に実行する

そして十分自信が持てるまで計画したら、あとは実行あるのみ。
その自信あるなしの基準は、最後まで齧り通せる見込みが立っているか否かである。
実際反省すると、入り口は面白そうなので勢いこんで始めるも、考えが足らなくてすぐに行き詰まり止まっていることが多い。
それで、あっちを齧り、こっちを齧り、累々たる調べ物や作りかけの資料の山を拵える。
それでも、お金や人材をかける前だから良いじゃないかと軽く考えがちだが、一番大切な時間と言う資源を失ってしまう。
ついには、力尽きる前に、時間切れでタイムオーバーの宣告が突きつけられる。
だから、事前の計画は詳細かつ繊細に行い、ちょっとやそっとでは止まらないところまで自信をつけることが必要。
そして、自信を持ってやり始めた以上は断固やり抜く。
なぜなら、いくら綿密に計画を立てても、やはり計画は計画、仮説は仮説。
当然、プロセスの途中で予定外の事態に見舞われ、こんなはずではなかったと頭を抱えることは一度や二度ではない。
しかし、今更方向転換することが却ってリスクになると思えば、断固努力で突き抜けるしかない。
失敗の恐れがないわけではない。しかし、繊細に計画した以上は、あとは大胆に実行するしかない。
そして、何度打ちのめされても、何度でも立ち上がる気持ちを持って仕事に臨みたい。