今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ブランドを生きる

(写真:満開の学び舎)

美人でチャンピオン

「鳴り物入り」と言う言葉があります。
鳴り物とは、歌舞伎で、笛や太鼓のような囃子に使う楽器を言います。
舞台で、殊更に賑やかな鳴り物の演奏が始まると、私たちは主人公か、あるいはそれに次ぐ重要人物が現れたと期待します。
それから、大げさに触れ回ることを「鳴り物入り」と言うようになりました。
また今日でも、マスコミや各種媒体で繰り返し宣伝をして、前評判を盛り上げることを「鳴り物入りで登場する」と言います。
例えば、マスコミが好きなのは、美人でパティシエ、美人で政治家、美人でアーティストと言った「美人」が修飾語の少し特別な人たち。
特に、美人でチャンピオンと言えば、もう放ってはおきません。
かのマリア・シャラポワ氏とか、そうですね。
何と言ってもまず容姿が端麗。女子テニスプレーヤーは華やかな容姿の人が多い中、殊更に群を抜いている感があります。
それだけでなく、17歳の若さでウィンブルドンでグランドスラムの優勝を果たす実力の持ち主で、この美人でチャンピオンの登場に世界中が色めき立ちました。

作られたブランド

シャラポワは、自らの実力で世界中で注目の的になりましたし、それは間違いのないことです。
しかし、その時、マスコミの反応がもっと醒めたものだったらどうでしょう。
私たちの関心は、その人の存在以上に、その時打ち鳴らされるマスコミや各種媒体の鳴り物の音の大きさで変わります。
特にマスコミは「話題性」を口にします。分かりやすく言えば、目立つこと、違っていること、特別感があることが大切です。
普通にモデルや女優より、身の回りを構ったり、着飾ったりする余裕のないはずのテニスプレーヤーが美人であることに「話題性」を感じます。
マスコミが鳴り物を打ち鳴らしても、対象が関心を集めないようなものなら、反対に騒ぐだけ騒いだ方が笑われます。
そこに来て、美人でチャンピオンなら、鳴り物も鳴らしがいがあろうと言うものです。
そして、その「話題性」を周知させ、また衆目を集めるのは、マスコミの鳴り物の力です。
シャラポワと言う素材は優秀でも、やはり世界中が注目するブランドに作り上げるのは、マスコミの力なのでしょう。

落ちたブランド

ところが、その完璧なブランドだったはずのシャラポワが、急に人の口に上らなくなります。
それは、「美人でチャンピオン」で作り上げられたブランドから外れた時です。
もちろん、シャラポワも人間なので、テニスのプレーにも波があります。
勝てる時もあれば、勝てない時もある。
いつもチャンピオンでいられる訳ではありまん。それでも、何度もトップの座にも返り咲いていますし、稀代のテニスプレーヤーであることは間違いありません。
しかし人々には、「美人でチャンピオン」のブランドで記憶されているので、そのイメージから外れると途端にマスコミも大衆も興味を失います。
そう、トッププレーヤー、例えば浅田真央氏や、女子レスリングの吉田沙保里氏のように勝っている姿しか記憶されていない選手は、一度負けると急速に私たちの興味の対象から外れてしまいます。
私は、これを「シャラポワ禍」と呼んでいます。

なぜ、それでもブランドに憧れるのか

「山高ければ谷深し」と言います。
良い時が良すぎると、そこから落ちる時が悲惨なことを言ったものです。
もちろん、シャラポワや浅田真央氏にしても、頂点を退いても十分モチベーションを保てるメンタリティを備えているからプロなのですが、時に頂点で作られたブランドが人を追い詰めることがあります。
甚だしいのは、ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏の例です。
日本で文学の大家と言えば「川端康成」と、今でも皆んなの記憶に残っています。
しかし、その名声とは裏腹に氏の最後は悲惨なものでした。
ノーベル文学賞を受賞し、文学者として最高のブランドを手にした川端氏でしたが、それがそのまま氏に重圧としてのしかかりました。
ノーベル文学賞受賞者の川端康成に執筆依頼は引きも切らなかったでしょう。そして、「雪国」以上の名作を期待し、ますます鳴り物の音は大きくなります。
しかし、当の川端氏は、与えられたブランドと、自分の創作するもののギャップに苦しみました。
そして、ついに重圧に耐えきれなくなった川端氏は、ガス管を加えて自死したのです。
ブランドとは名声です。
私たちは名声を得たい、名を残したいと全力を振り絞ります。そして、全てを使い果たして手にした名声はブランドとなり、その人に冠されます。
しかし、それは終わりではありません。
大衆は、ブランドの持ち主にもっともっと上を求めます。二度とできないはずの絶頂期から、更に「上に行け、上に行け」と、とても残酷な要求をします。
そして、ブランドに合わないことをすると激しく責めるのです。
それが怖くてブランドを持つ人は追い詰められます。
しかし、中には自らブランドを捨てて座を降りる人がいます。
人は負け犬と言うかも知れません。
でも、それはとても勇気のある、そう「勇退」なのです。