今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

もっとも強い生き方

(写真:暮れなずむ桜 その6)

怖いもの無しのおばあさん

知り合いだったお婆さんが、前にこう言いました。
「私は何も悪いことをしないから、何も怖いものがない」
それに比べて、若いくせに怖いものだらけだった自分は、そのお婆さんの言葉の意味を計りかねていました。
「世の中はこんなに怖いものばかりなのに、どうしてこの人は怖いものなどないと言えるのだろうか。」
怖いものと言っても、さすがに幽霊や妖怪を怖がる年ではありません。また、いつ来るか分からない災害を始終怖れていても所詮がありません。
やはり怖いのは人間です。
そして、人の目であり、人からの評価です。
「だらしない」「ズルい」「たよりない」「使えない」そんな人からの評価が自分には一番怖いものです。
本当は、もっともっと怖がらなくてはならないものが世の中にはあるはずですが、目の前の人間の目が一番怖いのはどうしてでしょうか。

怖さを生むもの

なぜ、人間の評価が一番怖いのでしょう。
それは、私たちが人の評価で自分の存在価値を測っているからです。
「人から悪いレッテルを貼られたら、それ終わり。」
社会に出た時によくそのように言われました。そして、なるべく人から馬鹿にされないように、低く見られないように言動を注意せよ、とさんざん言われたものです。
だから、皆んなは自分の言動の一つ一つにあんなに神経を尖らすのかと感心していましたし、その思いは今も変わりません。
また、実際に悪いレッテルを貼られたら、後は残念な人間として生きていかねばなりません。確かに、これは非常に怖いことに違いありません。
しかし、その根本を探れば、もっと違う感情が潜んでいます。
それは、自分の過去の悪事が暴かれるのではないかと言う心配です。

愚直にまっすぐ

よく公の場で、「今日は残念なお知らせがあります。それは、〜のような重大なミスがあったことです。しかし、それ以上に残念なのは、それを隠そうとする動きがあったことです」と口にされます。
それを聞くたびに、やはり人間は、正直が一番でなくてはならないと反省をさせられます。
しかし、現実には人間はミスや失敗の塊です。またすぐに対処すれば事無きを得るので、表には殆ど出ないのです。
その一つ一つを正直に申告する人はいないでしょうし、またそれをされたら組織運営はままなりません。
必然的に、申告すべきミスと、隠そうとするミスの線を引くことになります。
ただ、日頃嘘つき体質が身についているので、ついつい線引きを間違えるのです。
そして、甘い線引きが取り返しのつかない嘘や、組織ぐるみの隠蔽体質を生みます。
そのため、私たちは心に秘した罪悪感をたくさん抱えて生きています。
そして、周りがその気になれば簡単に暴きだしてしまうのも分かっているので、いつそれがバレるのかと戦々恐々とするのです。
お婆さんと言う立場の気楽さもあるでしょうが、愚直なまでに真っ直ぐ生きている彼女に怖いものが無いと言うのも腑に落ちる話であります。

最後に勝つのは

「欺くな 真如の月が見てござる」と言う歌があります。
泥棒が働くのは大抵夜中です。
それは、周りが真っ暗がりだから、悪事を働いても人からは分からないからです。
しかし、誰も見ていなくても、空で輝く月や星からはよく見えます。もし、月がその夜に見たことを告発し始めたら、たちまち夥しい数の泥棒が検挙されるでしょう。
ただ、現実には月は喋りません。
それでも、「真如の月」からは逃げきることはできないのです。
「真如」とは真実のこと、つまり「蒔いた種は必ず生える」と言う曲げられない真理を言います。
たとえ人から見えないところでした悪事でも、その報いは「自業自得」で、必ず身をもって償わねばなりません。やりっ放しは許されないのです。
それを、「真如の月が見てごさる」と言われています。
だから、心に一点の曇りもなく、正直に生きぬけば、未来に恐れるものがないので、怖いものがなくなるのは道理です。
また、世の中には人間同士の約束で許される悪もあります。例えば、007の殺人ライセンスとか、パワハラとか、下請けいじめとか、とかく力の強いものが弱いものを押さえつけても人間社会では普通に受け入れられてしまいます。
しかし、それも所詮は人間の都合でのこと。やはり、「真如の月」からは逃れられません。
弱い立場に立たされ理不尽に泣くのは、人間社会の常ですが、最後に勝つのは正しさを貫いた方だと肝に銘じたいと思います。