今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人は気づいて分かる

(写真:暮れなずむ桜 その5)

言わねば分からぬは、言っても分からぬ

「言わなわからん奴は、言っても分からん。」
昔の職場で上の人が言っていた言葉です。どうやら、その人は物覚えが悪い部下に腹を立てていたようです。
部下のやっていることがどうしても気になって、「おい、ダメだろう」と注意をしました。しかし、その時は「はい、分かりました。」と言うものの、しばらく立つとやっぱり同じことを繰り返している。
そこで堪り兼ねて、「おい、何度同じことを言わせるんだ!」と語気を強めたら、「僕、何で悪いか分かりません」と逆に言い返される始末。
感覚の良い人間なら、言う前から分かっている。でも、感覚の悪い人間は、言っても分からない。
上司だから、キチンと指導しなければならないけど、「こりゃ、ダメだ」と思わず嘆息しながら飛びだしたのが、「言わなわからん奴は、言っても分からん」でした。

思い込みの壁

人に何かを分からせるのはたいへんです。
ある男性が言っていました。
「そりゃ、家内の欠点は結婚前から気づいていたさ。でもさ、結婚して同じ屋根の下で暮らせば、いつか分からせることができると思っていたんだ。ところが、女ってヤツは、どう言っても分かろうとしないんだ。もう、さすがに諦めたよ。」
かなり、女性には失礼な内容ですが、要は奥さんを教育しようとして、挫折した旦那さんの話です。
でも、いくら言っても悪い癖が治らないのは、男も一緒です。人間は須らく、人から言われて自分を改めるのは難しいようです。
ですから、私も人から、「言わなわからん奴は・・・」と呆れられているかも知れません。
しかし、なぜ私たちには人の言葉が素直に届かないのでしょう。それは私たちの心には人の言葉を阻む壁があるからです。
「私は問題ない」「私は正しくできている」「むしろ、あの人の方が私を分かっていない」
そんな強い思い込みの壁です。

我が身知らずとマッチポンプ

「まさかあ、自分はそこまで我が身知らずではないよ」と思うかも知れません。
でも、例えばこんな時はどうでしょう。
・・・
「おい、少しは人の話を聞けよ。」
「うるさいなあ、放っておいてくれよ。」
「それが、お前の悪いところだぞ。何でもそうやってうるさがらずに、一度は耳を傾けたらどうだ。案外、思い当たることもあるはずだ。」
「じゃあ、言わせて貰うけど、あんた話が長くてくどいと言われたことない?そんなんじゃ、聞く気なんか全くなくなるって言うの。」
「はあ?俺のどこが、話が長くてくどいんだ!ふざけるな!」
・・・
これでは、売り言葉に買い言葉、収拾がつきません。
そもそも、説教氏はいい気になって相手の欠点をあげつらっていました。
「どんなに自分に都合の悪い話でも一度は謙虚になって耳を傾けろ。」
もちろん、これは自分ができていなくては、とても恥ずかしくて言えません。自分はできている、お前はどうだ、の思いがあって初めて口にすることができるのです。
ところが、相手から辛辣な一言を浴びせられた瞬間に、さっきまでの言葉はどこへやら、たちまち湯気を沸かして怒り始めるのです。
これではマッチポンプになってしまいます。
できていると思っている自分と、実は全くできていない自分。
このギャップがある我が身知らずだから、私たちには人の言葉を素直に聞ける耳がないのでしょう。

外からは堅固な壁も、内からは弱い

ある人が、「人間本当に改まるためには、相当な叱られ方をしなければならない」と言いました。
いわば力業です。
心の壁が撃ち砕けぬなら、砲弾を撃ち込んで粉々にしようと言うのでしょうか。
しかし、そんな簡単に人間の心の堅城は抜けません。
責めて責めて、責めまくってもますます心の壁を固く閉ざすだけではないでしょうか。
ところが、外からは堅固な心の壁も、意外に内側からの攻撃には脆いものです。
それは、その人自身が自分の非に気がつけば、あれ程いくら言われても改まらなかった言動もピタリと止みます。
いくら言われても、運転中にポケモンGOをやめなかったドライバー、それが実際に悲惨な事故を起こした報道を知れば、自ら行いを改めます。
つまり人に言われるのでなく、自分で気付けば、それは世界の誰から言われるより説得力があります。
後はどう本人の気づきを生むかです。
例えば、いくら言っても暴走族を止めなかった息子を更生させるために、反対に暴走族の集会の送り迎えをしたお母さんがいます。
すると、行き帰りの車の中で少しづつ会話が生まれ、気持ちが通じるようになりました。やがて息子にもお母さんの思いが伝わり、自分の非に気づいて自ら暴走族を脱退したと言います。
さながら、「北風と太陽」の寓話ですが、自ら気づかせるような指導ができるのが理想です。