今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

責任ある立場の人ほど、数字と感情の区別がつく

(写真:古木のさくら その3)

諸葛亮孔明

中国漢代の末期、力の弱まった漢に対して各地で群雄が割拠する乱世の時代となりました。
その中、三人の英雄が現れて、各々の国を建て覇権を争いました。いわゆる三国志演義の舞台となった春秋戦国時代です。
曹操率いる魏と、孫権率いる呉、そして劉備玄徳率いる蜀。
帝を擁し圧倒的勢力を誇る魏と、先代から強力な水軍を引き継いだ呉に挟まれ、蜀はいつも押され気味でした。
その情勢が変わったのは、劉備が三顧の礼をもって迎えた諸葛亮孔明が蜀の軍師についてからです。
孔明の軍略により、赤壁の戦いでおおいに魏軍を打ち破った蜀は他の二国と並んで覇権争いに加わります。
しかし、やがて王の劉備は志半ばに倒れ、跡を息子の劉禅が継ぎます。
劉禅を助け、蜀の一切を取り仕切る孔明の負担はたいへんなものでした。
また今や関羽、張飛の二将はなく、蜀の力は他の二国とはるかに開いていました。
その中、孔明は強国魏の討伐に出陣して行くのです。

馬謖の背反

孔明は、強敵魏を攻めるに当たり、生きて戻れぬかも知れぬと、主君の劉禅に当てて後の政治のことなどを詳しく書き残しています。
これが有名な孔明の出師の表と言われるものです。そこに書かれた彼の心情は読むものすべての心を打つと言われます。
そして、深く魏の地に進撃した蜀軍は、孔明の軍略によって次々と各地を攻略していきます。
その孔明には日頃可愛がっていた大将がいました。名を馬謖と言います。
孔明も馬謖にはつい甘くなり、馬謖もそれを分かって幾分つけあがっているところがありました。
そして進撃の途上で、馬謖は孔明の軍令を無視して勝手な行動を取りました。
多少の軍令違反も、俺なら孔明も許してくれるだろうと言う甘えもあったと思います。
しかし、結果は馬謖の思いが裏目に出て、大敗を喫してしまいました。
軍令違反は厳罰です。
またそれで大敗北を招いたとすれば、命をもって償わせねばなりません。
もし、それを許せば、勝手な行動をする部下ばかりになって、今後の作戦はまともにはいかないでしょう。

泣いて馬謖を斬る

孔明も苦悩したと思います。
可愛い馬謖を思えば、できることなら命だけは助けてやりたい。
しかし、軍規を維持する為には決して許してはならないのです。
ここに人間孔明の感情と、軍の全権を預かる総帥の責任との相克がありました。
しかし、これからの蜀の軍略や、自分なき後の統制を考えれば、やはり私情を優先する訳にはいかなかったのです。
かくして、諸葛亮孔明は泣く泣く可愛い部下の馬謖の首を刎ねました。
ここから、大義のために私情を殺して断固行うことを「泣いて馬謖を斬る」と言うようになったのです。

数字と感情

ここで言う数字とは、客観的な事実です。
今日では、経営や政治的な判断は数字をベースに行われるので、本来私たちがするべき正しい判断を「数字」で表しています。
孔明ならば、彼が全軍を束ねる時に徹底していた軍規がそれに当たります。
感情は、煩悩から起こります。
煩悩は、欲しい欲しいと言う欲、憎い、焼き尽くしたいと言う怒り、うらみ、ねたみそねみの感情を言います。
そして、これら煩悩は人間である限り決して逃れることができないものです。
聡明な孔明にして、馬謖を愛するあまり、最後大切な部下を誤らせてしまったのです。
振り返ってみれば、私もこの欲、怒り、ねたみそねみでどれだけ目をくらまされているか。
利害関係のない第三者から考えの間違いを指摘され、目のくらんでいた自分が知らされます。そして、いつも恥ずかしくてたまらなくなります。だから、自分には責任のある立場は難しいかも知れません。
しかし、軍を束ね、多くの兵士や国民の命を預かる孔明は、断固としてそこを乗り越えています。
特に、周りから正してくれる人のいない最高責任者は、自ら正さねば間違ってしまいます。
数字に真摯に向き合って、自分の感情、煩悩を乗り越えられるかは、ひとえに責任の重さの自覚によるのでしょう。