今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

相手の期待値を超え続けること

(写真:古木のさくら その2)

聡い子供

豊臣秀吉が長浜城主だったころのエピソードです。
領内で鷹狩りを行った秀吉は、帰途に喉の渇きを覚えて、たまたま前を通りかかった寺で茶を所望しました。
その時、対応した小姓は、まず大ぶりの茶碗にぬるめの茶を入れてだしました。
喉の乾いていた秀吉は、そのお茶を一息に飲み干した後、もう一杯所望しました。
すると、小姓はやや小さめの茶碗に少し熱めのお茶を入れて出しました。
「うむ、小気味よし。もう一杯。」
気を良くした秀吉は試みにさらにもう一杯を所望しました。
すると今度は、小ぶりの茶碗に熱く立てたお茶が出したのです。
相手の状態を見て、その欲するところを与える、なんと気遣いのできる聡い子供であろうか。
その心遣いに感じ入った秀吉は、その小姓をもらい受けて城に連れ帰りました。
秀吉の家来となった小姓は、頭角を現して、やがて豊臣五奉行の一人、石田三成となりました。

三成と秀吉

秀吉は、この三成のどこに感じ入ったのでしょうか。
その時、秀吉は喉の渇きを癒したいと思っていました。それを見て取った三成は、すぐに喉に流し込めるようなぬるめのお茶を茶碗にいっぱいにして出したのです。
それで、喉の渇きも治った秀吉でしたが、もっと飲みたくなって、もう一杯を頼みました。
ここで、また茶碗いっぱいにお茶を出されても、秀吉としてはあまり嬉しくなかったでしょう。
それで、あまり水腹にならないように、また身体を冷やさないように少し小さな茶碗で、少し熱めのお茶を出しました。
その一杯も気持ちよく飲み干した秀吉は、「この小姓は」と思い始めました。
それで、試しにもう一杯所望したところ、小さな茶碗に熱いお茶を出したのです。
お茶は本来熱くして楽しむものです。十分喉の渇きが満たされた秀吉には、熱いお茶がなによりのもてなしでした。
また、充分水分を取った秀吉はあまり量を欲してはいなかったでしょう。
それを三成は都度見て取って、その時その時に一番喜ぶだろう気遣いをして秀吉を感心させています。
このことが縁となり、後に豊臣秀吉の遺臣として、関ヶ原で天下を分け目の大戦を仕切った石田三成が誕生したのです。

人を惹きつけるもの

現代の私たちにも上司がいます。
どんな人でも上司は苦手なものです。なぜなら、自分にダメ出しをするのが仕事だからです。
それが、戦国時代ともなれば、とてもたいへんだったでしょう。特に織田信長のような短気な殿様に仕えていたら、いつどんな目に遭わされるか知れたものではありません。
そのように、石田三成の時代の上司と部下の関係は今とは比較にならない位シビアなものだったと思います。
では、どうしたら上司の歓心をかって、自分のことを引き立てて貰えるか。それは、今も昔も主持ちの変わらざるテーマです。
秀吉もいつも信長への対応で神経を使っていました。失敗をすれば、信長に伝わるよう、使者に対しても大袈裟に頭を下げて謝ったり、褒められたらまた全身で喜びを表現しました。そして、いつも愛い奴、可愛い奴と思って貰えるように気を使っていたのです。
そんな秀吉の部下への評価もまた厳しかったと思われます。
その中秀吉が、加藤清正や福島正則のような温故の家臣にまして石田三成を重用したのは、ひとえに良い意味で三成が彼の期待を裏切り続けたからと言えます。
取り入るのが上手いと謗られるかも知れませんが、秀吉の欲するところを何時も考えていて、常にその上を行くように行動しました。
そうすると、秀吉はますます三成のことを手放せ亡くなります。
そんな石田三成の片鱗が、小姓の頃にすでに現れていたのです。

相手の期待値を超え続けること

ダメ出しをする上司と、ダメ出しをされる自分。
そして、苦手な上司の愚痴を言う。
だから、ますます上司との気持ちが離れて引き立てて貰えない。
泣かず飛ばずの自分を嘆く前に、きちんと自分のやるべきことは出来ているでしょうか。
それは、上司の期待を越えようとしているかどうかです。
言われたことの、しかもその期待値を遥かに下回っていることしか出来ていない癖をして、すぐ怒る!、褒めることを知らない!と気持ちを荒ませています。
しかし、上司から言わせれば、「褒めて貰いたければ、褒めて貰えるようにしろ」でしょうね。
やったことの結果がたまたま上司の気分に合って、褒めて貰えると嬉しくなりますが、あくまでたまたまなので、そんなことは続きません。
やはり、認めて欲しい、引き立てて貰いたいと思えば、相手の期待することを常に考えなくてはなりません。そして、相手の期待を汲み取って、言われなくても自らそこを補うように考える。
言われたことをやっているのに何故怒られるのだろう・・・それは、相手は期待することを全て口にしていないからです。
そこを読み取って実行して一人前、そこを越えてこそ上司は大きく評価をします。
それが身についていた石田三成だから、秀吉も内向きの一切を取り仕切らせ、深く信頼をしていたのでしょう。