今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

クライアントや経営者から見れば、社員の時間はお金そのもの

(写真:クレーン・ハイ その1)

時間の見え方

時間って何でしょう、
自分たちにとって、時間とは朝起きて、夜寝るまでの間です。
会社では、とりあえず9時に出社して、夕方5時ないし6時まで拘束されている時間を言います。
まず、定時内はそこに身を置いて、極力怒られないようにひたすら時間が過ぎるのを待ちます。
もちろん、遊んでいたら叱られるから、決められた業務を少しでも早く仕上げるように頑張ります。
それで、月末には給料が振り込まれます。
働きが悪い?
それは使う側の問題で、自分は決められた時間そこに身を置いているのが義務。後はどう使おうがそちらの勝手。
・・・なんて、これは昔のサラリーマンコメディで植え付けられた悪しき時間のイメージです。
時間とは、私たちに等しく与えられた財産を言います。
私たちは、その財産を切り売りしては欲しいものを手に入れています。
しかも、この財産ばかりは一度消費してしまうと、もう取り返しは効きませをん。
だから時間ほど全知全霊を傾けて使い方を考えなければならないものはありません。しかし、一番無駄に使いがちなのも、また時間なのです。

許されない時間の使い方

それは、何故でしょう。
「明日は明日の風が吹く」と言って、同じような毎日が繰り返し目の前に現れます。
昨日だめなら今日、今日だめならばまた明日、明日だめでも・・・。
だから、いくらでも取り返しが効くように思えて来ます。
これが一月や一年間でも同じ気持ちになるから恐ろしいのです。
あ、気がつけば年末か、正月か。
今年こそ心機一転頑張ろう。
そんなことを繰り返しながら、いつの間にやら退っ引きならない歳になっています。
いつか親孝行したいと思っていた両親にも先立たれています。
人生の時間をおろそかにしがちな私たちの、会社での時間の使い方はどうでしょうか。
私たちをお金で雇っている使用者やお客さんからは、私たちの時間はお金そのものです。
雇用契約とは、私たちの時間を会社が買っていることに他なりません。
今の日本で一番高いものは人件費と言われる通り、会社にとって人を一人雇っておくことはたいへんなことです。
「自分の手取りくらいは、そんなに負担ではないだろう」と軽く考えてしまいますが、たまには自分の給与明細をよく眺めてみたら良いと思います。
「総支給額」と言う項目があります。
それは自分の手取りよりも何万も高いはずです。
これは、企業が私たちに支払っている正味の金額を言います。そして、その他福利厚生、退職金引当、企業年金、そして諸経費まで含めると、私たちの手取りの3倍になると言われます。
人を雇うのは、それだけの出費の痛みを伴う行為です。
だから、使用者が社員の無駄な時間の使い方を許せないのは当然と言えるのです。

もし、自分がお金を出していたら

私たちは、会社からある程度の裁量を任されて時間の枠を貰っています。
そして、その時間の中で最高のパフォーマンスを上げるよう期待をされます。
しかし、私たちはなかなか意識して時間を有効活用しようとしないから、そこに目標管理や評価制度が導入され、お尻を叩かれるのです。
でも、私たちからすれば、自由に使って良い時間のはずが、あまりうるさく言われると気が沈みます。
実際、何時から何時まで何をしていて、効率はどうかを細かく集計した会社があったそうですが、従業員が音を上げて現場が崩壊したと言います。
しかし、自由に使えると思っているものでも、それをお金に換算すると、私たちも目の色が変わります。
親と同居している時、電気、ガス、水道の光熱費は意識していなかったでしょう。
しかし、一人暮らしを始めて、何もかも自分で支払う立場になった時、たまたま何日も居続けている友達の電気の消し忘れや、やたら長いシャワーが気にはならないでしょうか。
それが、使用者から見た私たちの時間の見え方そのものなのです。

分単価を意識する

よく言われる話ですが、自分の分単価はいくらでしょう。
例えば、手取りを20万として、経費諸々込みで人件費を60万と見做します。
それを標準労働時間の172時間で割ってみます。
そうすると時間単価は、ほぼ3500円。
分単価は、約60円。
会社で気を抜いていると10分や20分はすぐに経ってしまいます。
そうすると、会社からは、600円、1200円を無駄にしやがってと見えるのです。
これは、とても怖い話です。
私たちが何の気なしに使っている時間が、使用者やお客さんからは、ボロボロお金が溢れ落ちているよう見えるのですから。
時間に対するそんな感覚は大切です。
また、自分の人生の時間に対して考え直す良い機会になればとも思います。