今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

プロフェッショナルの仕事のうち、言語化できる部分は、すでにコモディティになっていて、差別化できない

(写真:桑名の桜 その2)

マネジメント万能の時代

マネジメント万能。
「君のマネジメント能力が疑われる。」
それは会社員にとって死刑宣告に近い言葉。
計画に従って問題なく、そしてスムーズに最初から最後まで動かしてこそ価値がある。
いつも、後手後手で何かあるたびにバタバタ走り回るのは無能の証拠。
「いや、最後はきちんと帳尻を合わせているからいいじゃん」と言いたいのだけど、それではダメらしい。
そもそもこれは、「正しい考えかたで、正しく計画し、正しく実行すれば間違いなく上手くいくはず」と言う考え方が前提。
計画力と、先読みの力、そしてリスクマネジメント力が求められる。
いつも臨機応変の対応力が売りの現場には、少々窮屈かも知れない。

マネジメントとは言語化

「それが上手くいく根拠は?」
頻繁にそんな質問が繰り返しされる。
「それは、刑事の勘って奴ですよ。」
「女の勘が教えるの。」
ドラマならカッコ良いけど、実際の現場で口にしようものならドヤされる。
「君は、自分の勘のような根拠のないもので会社のお金を使うつもりか。」
「いやあ、オレはイケると踏んでるんすけど。」
「上手くいくなら上手くいくなりの根拠があるだろう。それを分かりやすく言葉や数字で言ってくれよ。」
「そりゃ、そうなんすけどね。」
要は、マネジメントと現場が機能分化しているのがそもそもの原因。
現場では感覚的に分かっている。でも、マネジメントと現場の共通言語は、やはり言葉と数字。
マネジメント側は、分かりやすく言葉にして貰わなくては分からない。
そして、現場も感覚と言う言葉にかからないものを言語化するのに四苦八苦する。

プロフェッショナルの本質

言語化の次は、平準化、マニュアル化。
もちろん、それが大切なのは理解してある。
でも平準化は、ひょっとしたら自分たちの特性を殺してしまうかも知れない。
どんな新人でも理解できるように分かりやすく言語化、平準化を図ったら、全ての会社が限りなく均一化しないだろうか。
そう、言語化は効率化であり、しかし均一化でもある。
プロには実体験を通して養った感覚がある。
そして、どうしてそうなるかは分からなくても、感覚を信じた結果上手くいく。
でも、その感覚はマネジメントからすれば実に頼りない。
ついつい、言語化を求めて対立する。
「なぜ、そう思うか、根拠を示してくれよ。」
「さあ、なぜか分かりやせんがね。でも、結果的に上手く行くんですよ。」
そんな調子だから、マネジメントと現場は本来反りが合わない。
でも、一つだけ言えること、プロが身体に叩き込んだ感覚は真似をされない。

人材と人財

世の中は、急速にデジタル化に足を早めている。
デジタル化の本質は、全てを数字に置き換えること。数字に置き換えさえすれば、一番上手く処理できるのは機械。
そうして、いろんな技術をデジタル化して、機械が人間の代わりを務める。
仕事を機械に奪われた人たち、明日は我が身かと薄ら寒い思いがする。
言語化にこだわり過ぎるのも同じこと。
全てを言語と言う信号に置き換えて、それで平準化をしてマネジメントの精度を高めようとする。
しかし、共通言語で定義された人間は、いくらでも代わりのきく人材になる。
でも、人間は材料ではない。
人間が人間本来の特性を捨て、数字やデジタルに屈してはならない。
我々は人財なのだ。
人間は財産なのだ。
だから、現場は主張をしたい。
マネジメントにかからない非言語のスキルこそ本当の会社の財産なのだと。