今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

言葉で飾って安心しない

(写真:雨雲の切れ目)

空気の漏れる感じ

司馬遼太郎氏曰く、
「人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思うことがあります。
『歎異抄』にはそれがありませんでした。」
歎異抄は、浄土真宗の祖師、親鸞聖人の弟子が書いたもので、聖人の生の言葉が非常な名文で書き表されています。
明治期から昭和期にかけて、多くの文筆家や思想家がこの歎異抄に影響を受けました。
まさに、近代日本の思想をつくった書と言っても過言ではないでしょう。
歴史小説の大家、司馬遼太郎氏もその例に漏れず、戦中従軍していた間もずっと肌身離さなかったそうです。
しかし、その司馬遼太郎氏の作品には、吉川英治氏のように親鸞聖人を題材にしたものはありません。
あまりにも、司馬氏の中で偉大過ぎて描けなかったのかも知れません。
その司馬遼太郎氏から見たら、世の中で言うことも、書くことも全て空気が漏れるような感じがして、嘘くさいそうです。
そして、司馬氏が傾倒していた歎異抄には唯一それがないと言っています。

豊洲新市場の盛り土問題に寄せて

確かに私のようなものでも、最近の報道等見ると、「一体最近の日本の報道はどうしてしまったのだろう」と思うことがあります。
例えば、豊洲新市場の盛り土問題にしてもそうです。
石原都政の時に、築地市場の移転先として巨額の費用をかけて用意した施設です。
ところが、その土地が元東京ガスの施設だったことや、ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸から水揚げしたマグロが埋められた場所であったことで、鮮魚や青果を扱う場所として土壌の汚染が心配されていました。
そのため土地の汚染対策のために、開場は何度も延期されてきました。
そして、報道でもご存知の通り、汚染対策として、専門家から市場の建物の土台に盛り土をする案が出されていました。
当然、豊洲新市場の建設はそのアドバイスに従って行われるはずでした。
しかし、ここに来て、土壌の汚染対策のはずの盛り土がなされず、建物の地下が空洞になっていることが発覚したのです。

言論の罠

それは、東京都、およびその計画に関わった人の問題ですが、それに食いついて連日放送枠を取って報道しているマスコミのあり方にも疑問を感ぜずにはおれません。
まず一つには、度重なる災害や、未だ苦しんでいる被災地の人たち、あるいは周辺国の問題、憲法改正の問題、改善しない非正規雇用の問題等、いかに東京の台所を預かる豊洲の問題とは言え、他におろそかにしてはならない報道課題はたくさんあるはずです。
それを、石原都政から舛添問題、そして今度の小池新都知事へと何かと世間の関心を引く東京都に絡むと、いの一番に食いつき、他のことは無きかのように報道を繰り返します。
まるで、ダルマの起き上がりこぼしに硬貨をくくりつけたようなもので、お金のぶら下がっている方に常に転がっている様はあまりみっとも良いものではありません。
放送業界におけるお金とは、すなわち視聴率です。だから、豊洲が数字が取れるとなれば、世の有識者まで総動員して、問題だ!問題だ!と騒ぎ立てます。
そんな時に、そうじゃないよとブレーキを踏むべき有識者までもが一緒になって大合唱するから、ただ報道を鵜呑みにするしかない我々一般国民はそれに引きずられるばかりです。
果たして、言論を生み出す人たちは、自分のしていることのそんな怖さをご存知なのでしょうか。

言葉と自分の本質

最近の報道がバラエティー化したと感じるのは私だけではないでしょう。
もちろん、NHKの「バリバラ」のように私たちが意識の下に閉じ込めて、あえて見ないようにしている問題をバラエティ形式で身近にしてくれる良質な番組もあります。
しかし、出演者全員が行政や関係者の攻撃に終始して、さも自分はそれとは関係のない立派な人間ですよと言わんばかり態度は見ていて気持ちの良いものではありません。
司馬遼太郎氏から言わせれば、まさに「空気が漏れるような嘘くささ」になるのでないでしょうか。
豊洲新市場の問題にしても、関係者からすれば彼らが毎日従事している仕事の話です。
そして、仕事とは内にたくさん矛盾を秘めているものです。その矛盾となんとか折り合いをつけながら仕事を進めるのが私たちの業務スキルです。
そして職場によっては、嘘や欺瞞すら、そのスキルに数えられるところもあるでしょう。
そう考えれば、大小の事案を含めて身を誤らずに最後まで勤め上げるのはなかなかたいへんなことが分かります。
報道番組で上から目線で批判している報道陣や有識者たち、彼らだって豊洲の関係者だったら実際どのように振舞っていたか分かりません。
そのような自分の危うさや、脆さを自覚するなら、報道のあり方も変わるでしょうし、嘘くささも薄らぐでしょう。
言葉は怖いものだと思います。
なぜなら、一度外にだしてしまったら自分ではどうしようもなく拡散しますし、また発言した本人を実態以上に飾り立てます。
その飾りに満足して、自分自身の本質が見失われていることが、今の日本の言論の危うさでなないかと思います。