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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

一生ジャイアンに勝てなくても

(写真:朽ち屋の春)

ガキ大将といじめられっ子

漫画『ドラえもん』の主人公は、野比のび太。
勉強もダメ、運動もダメ。
努力も我慢も大嫌い。
好きなことは、昼寝と漫画を読むことくらい。
さらに何をやらせても失敗ばかりの冴えない彼に、友だちなどいないかと思いきや、何かと絡んでくるのが、近所に住んでいるジャイアンとスネ夫の二人。
ジャイアン、本名、剛田武。近所の八百屋の息子。
のび太と同い年なのに、身体はのび太の何倍も大きい。腕力も強くて、いつも力づくで無理を通す。
のび太は、ジャイアンにつかまると、どんな無理難題を吹っかけられるか分からないので、いつもビクビクしています。
もう一人のスネ夫は、本名、骨川スネ夫。
大金持ちの家のボンボンで、いつも高そうなおもちゃを買ってもらっては、のび太やジャイアンに見せびらかしている。
でも、金持ちの癖にジャイアンの腰巾着で、時々ジャイアンにおもちゃを取り上げられては泣きべそをかいている。
この二人、のび太にとっては有難くない相手なのに、どう言う腐れ縁か、結局いつも絡んでしまうのです。

のび太とドラえもん

いつもジャイアンにイジメられ、スネ夫に馬鹿にされているのび太は、いつも悔しい思いをしています。そして、あまりの辛さに耐え兼ねて、未来から来たネコ型ロボットのドラえもんに助けを求めるところからストーリーは展開します。
ドラえもんは、のび太の子孫のせわしから、なんとかのび太をひとかどの物にするように依頼されて未来から送り込まれました。
それは、のび太の子孫は大変な貧乏に苦しんでいて、その原因がのび太の作った大変な借金だったからです。
それで、のび太をひとかどのものにして、子々孫々にも渡る借金苦を解消しようとしたのでした。
困ったことがあったら、すぐ「ドラえも〜ん」と泣きつくのび太。そして、一応教訓的な意見は言うものの、最後はなんとかしてくれるドラえもん。
彼は、日本中の子供の夢です。
ドラえもん世代の僕らは、未だに『どこでもドア』があればとか、『タイム風呂敷』で若返りたいと夢のようなことを考えています。

一生ジャイアンに勝てなくても

冴えないイジメられっ子が、ガキ大将に逆転勝利する、それはいろんな少年漫画でテーマになっています。
ドラえもんにもその要素はあって、時々秘密道具でジャイアンを懲らしめています。
しかし、もしドラえもんが未来に帰ってしまったら、腕力の強いジャイアンにのび太は勝つことはできません。
もちろん、大人になるに従ってその関係性は変化していきます。
のび太の未来を描いたストーリーではジャイアンは家業のスーパーを大きくして社長になり、のび太は父親同様会社勤めをしています。
その時点では、ジャイアンとのび太は、イジメ、イジメられの関係は卒業していますが、社会的な地位から言えば、のび太はジャイアンには及びません。
それでも、漫画家やアニメのシナリオライターは、ドラえもんによって変わったのび太の未来に幸せな人生を描こうとしています。

それぞれの持ち分

ジャイアンは腕力に劣らず、人を引っ張る力も強かったので、凄いリーダーになりました。
のび太は、しずかちゃんと結婚して、息子を持ち、都内のマンションで暮らしています。
ドラえもんと過ごした日々で成長を果たし、平凡ではありますが堅実な生活を送っているのです。
昔話や19世紀の児童文学では、主人公は最後大金持ちになったり、殿様になったり、大成功者になって終わります。
しかし、近年の作品の主人公は必ずしも大成功者にはなっていません。
長らく続いたシルベスター・スタローンの『ランボー』シリーズも、最後には戦場を離れ、故郷の父親のもとに帰るシーンで終わっています。
退屈かも知れませんが、平穏で穏やかな日々、そして、そこで堅実な生活を送る。それがのび太の人生に訪れた幸せなのです。
ドラえもんの力で才能を開花させ、ジャイアンもスネ夫も逆らえないような大人物になる、そんな期待はある意味裏切られています。
でもそれは、物質では幸せになれないと証明した20世紀的価値観の帰結だったかも知れません。
ジャイアンは人を引っ張っていく強いリーダー、対してのび太は人に仰ぎ見られることはないけれど、人や家族を幸せにする資質を伸ばしました。
『勝つばかりが人生ではない』
いかにもモノに恵まれた現代的価値観ですが、人それぞれ持ち分があります。
そのように自分の資質の中で幸せになれたら、それはそれで幸福な結末でしょう。