今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

私は貧しくない

(写真:梅と鉄塔)

老後破産

若い頃は、辛くても一生懸命働く。
そうすれば、定年後はいくばくかの退職金を手にして、悠々自適な年金暮らしができる。
近所のお年寄りと朝の散歩で挨拶を交わせば、「少し庭いじりをした後は、お気に入りの喫茶店でモーニングですわ」とにこやかに返される。
午後は、友達と街に出かけたり、趣味の教室や、体力づくりの水泳教室で穏やかに毎日が過ぎてゆく。
・・・
毎日、仕事やストレスで心身をすり減らしている自分から見れば、毎日が日曜日で、悠々自適なロングバケーションを送っている羨ましい立場の人たちです。
あと何年でオレも定年、指折り数えてその日を待つも、どうもそんなに上手くはいかない不穏な話が聞こえてきます。
それは、「老後破産」と言う言葉。
仕事のあるうちは、それなりに人並みの生活を送れても、いざ高齢で退職した途端、収入の道は絶たれてしまう。
頼みはわずかばかりの貯金と退職金。
あと、老後の年金。
しかし、人生長くなったと言うことは、それだけ人の世話になる期間も、また機会も増えたと言うこと。世話になればお金がかかります。
わずかばかりの蓄えはたちまち食い尽くし、後は頼みの年金も、2人が1人を支える時代に少ない原資を皆で分け合うから、とても満足な額は貰えません。
かくして、老後に行き詰まる「老後破産」が急速に拡大すると言われています。
そして、それは20年後に確実に自分自身の問題となるのです。

お金はフェア

お金があるから幸福、お金がないから不幸と言われます。
確かに、お金にはたいへんな力があります。
「不幸の殆どはお金で片付けられる」と『金色夜叉』に書いた菊池寛や、「世の中お金で買えないものなんてある訳がない」と言い切ったホリエモン氏。
今の世の中、皆んなお金を求めて動き、お金によって動かされています。
確かに、お金があれば身分や出自、学歴や社会的地位すらも超えて行けるので、ある意味とてもフェアなものです。
先のホリエモン氏などは、30そこそこの時、フジテレビに買収を仕掛けました。
当時、テレビ局が買収されるなど、考えたこともありませんでした。
テレビは公器です。もっとも独立性が保たれなくてはならないのに、ライブドアと言う一企業の傘下に入るなんてことが許されるのか。
しかも、フジテレビはそこらの弱小局ではありません。歴史ある、日本を代表するマスメディアの旗手です。
それを、この間まで名前も聞いたことのないライブドアの、堀江いう人物に買われようとしているのです。
本当にお金さえ積めば何でもできる好例のように思われて心底びっくりした覚えがあります。

お金と言う牢獄

そのようにお金はフェアです。
しかし、同時にお金は単一のものさしを作ります。
持っていればフェアですが、持っていない人間は一切の発言を封じられる傾向があります。
その人品いかんに関わらずお金を持っていれば頭を下げられ、お金が離れていけば軽んじられる。
持たざる人の不便は言うに及びませんが、しかし持っている人間もいつそれを失うかとビクビクして過ごしています。
現にあの時、一瞬でライブドアを失った堀江氏は、どんな気持ちだったでしょう。
いやその前からも、掻き集めたお金をどうしたら失わずに済むだろう、そう考えてかなり無理をしていたのでないでしょうか。
お金を持っているうちはまだ良くても、一度お金に持たれてしまうと、反対にお金で縛られるようになります。
何でも叶えてくれるお金がまるで、私たちの自由を奪う牢獄になっているのです。

私は貧しくない

私たちが「老後破産」に恐怖心を感じるのは、つまるところこのお金の牢獄に閉じ込められている証拠。
・・・と言ったら言い過ぎでしょうか。
お金から自由になれば、もはや何も怖いものはありません。
不況も、リストラも、破産も、倒産も、全てお金が儘ならぬことの心配です。
ならば、お金から自由になるにはどうしたら良いのでしょう。
それには、二つの手段しかありません。
まず一つは、有り余るほどお金を持ち、しかもその全ては個人の銀行口座にキャッシュで入っている。そうしたら、お金から自由になったと言えるかも知れません。
それでも、そのお金が目減りする寂しさと、インフレで貨幣価値がなくなる恐怖からは無縁でいられません。
二つには、一切お金に依存せずに生きることです。
そんなことを言うと、散々周りからからかわれるでしょう。
「そんな、70年代のヒッピーであるまいし、お金に一切依存せずに生きるなんて理想論過ぎる。」
確かに、今の時代自給自足をしようにも、野菜一つ作るでも手間がかかり過ぎて、そこにお金を使えばアッサリと解決してしまいます。
しかし、お金は私たちを楽にしてくれますが、同時に私たちを追い詰めるものでもあります。
もし、私たちの財布と銀行口座に合わせて150円しか残っていなかったら、どんな気持ちになりますか。
現にお金を持たず、また支援を受けられずに餓死をする人もいるのです。
それは、お金という単一の価値基準が生み出した影の部分です。
もちろん、私たちはお金を離れては生きられませんが、お金に縛られる必要も無いはずです。
お金がなくても、卑屈にならなくて良いのです。必要な支援をためらわずに受けても良いのです。
お金のために節曲げることも、嫌な我慢をする必要もありません。
要は、お金という単一の価値観から自由になれば良いのです。
お金以外にも、この世はいろんな価値に溢れています。
人生を楽しむ価値、人を幸せにする価値、なにより健康である価値、大好きな人と一緒に居られる価値、そして正しく道を進める価値。
そう自覚すれば、お金がなくても「私は貧しくない」と言えるのです。
そして、お金を持たないことにビクビク怯えなくても、勇気を持って生きて行けます。
多分に理想論に過ぎるでしょうが、これから迎える「老後破産」社会に対する唯一の解決策ではないかと思うのです。