今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ステータスより、プロフェッショナル

(写真:孔雀絵)

憧れ

男と生まれたからには、一旗揚げたい。
多くの人間を相手に号令をかけてみたい。
そして、大きな仕事を成し遂げたい。
人から偉いものだと言われたい。
自分が歩くと皆んなが頭を下げてくれる、そんな人間になりたい。
周りに仰ぎ見られるステータスを身につけて、親戚や同級生から羨望の眼差しで見られたい。
・・・
私もご多聞に漏れず、若い頃はそう夢見たものです。
そして、何の根拠もなく、歳をとればそれなりに偉くなるのだろうと考えていました。
年齢相応に部下が増え、でっかい仕事をこなした見返りに、有り余るほどの報酬を手にして、悠々と肩で風切って生きている・・・はずでした。
しかし、思えばこの歳。
憧れ、焦がれた未来とははるか遠い場所に立っています。

高めるもの

歳を取ること。
それは体力、気力が衰えることです。
当然、若くて力のある人たちと横並びに競っても叶うはずがありません。
いくら負けないぞと気張ってみても、新しい知識や環境に対する柔軟性ではとても及ぶべくもないのです。
そして、年功序列は過去の遺物となり、勤務年数に関わらず優秀な人間がどんどん上に行きます。
本当は、若い人たちと競わなくても良いように、私もステージを変えるべきでした。
指揮系統の上部に食い込んでいれば、優秀な若い人と能力で比較されなくても済んだのです。
だから、男は切実なまでに立身出世を夢見るのでしょう。後から次々に現れる優秀な好敵手に脅かされることがないように。

ステータスより、プロフェッショナル

高いステータスがあれば、皆んなが評価をしてくれます。
昔、母親がいつも口にしていたのは、知り合いで出世した人の話。
「あそこの息子さん、今は偉い人なんだって」と、さも「ウチの男どもは」的に聞こえよがしに言います。それも仕方ないと許せたのは、親戚や近所に立派な息子さんを持っている人がたくさん居て、事あるたびにそれを自慢していくからです。
さぞ口惜しかったのか、あるいは発奮させようとしてか、母のそんな話を聞かされるうちに、自分にもステータスの信仰が植えつけられたのかも知れません。
そこから、一時は社会的ステータスがない自分が情けなくて、少しでも上がれないかとあがいた時期もありました。
しかし、それは願っても詮無いことだったです。
なぜなら、マネジメントかフィールドかと問われれば、間違いなくフィールドを選ぶ自分がいるからです。
私は自分で思っている以上にフィールドが好きで、お客さんの話を聞いているうちに、だんだん生き生きしてくることに、我ながら驚かされます。
叶うなら高いステータスより、フィールドのプロフェッショナルと呼ばれたいと願います。

自分が納得できる人生

私は、以前自分を称して「ヤクザの親分」と言っていました。
村のヤクザの親分は、祭とか祝いとか、そんなめでたい席には敬遠して呼ばれません。
しかし、いざ揉め事があると真っ先に声がかかります。
ちょうどそのように、トラブルもなく社内がうまく回っている時には、皆んな寄り付いても来ません。よほど人望がないのかと落ち込みもしますが、いざトラブルが発生すれば、真っ先に呼ばれます。
でも、自分は「ヤクザの親分」的な扱いを受け入れ、そこに自分のアイデンティティを求めました。
そもそも、諸事面倒臭がりの自分にステータスなど持っていられる訳もなく、それよりはいざと言う時いつでも頼ってもらえるプロフェッショナルとしての生き方を選びたいと思いました。
そして願わくば、プロとして積み重ねた仕事の一つ一つが、会社の未来の成長の糧になれば有難いと思うのです。