今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

本物と偽物は見えないところのあり方で変わる

(写真:額絵 その1)

政宗と義弘

鎌倉時代のこと。
当代一の刀鍛冶を決めることになり、18人の名刀工を選んで競わせることになりました。その中には、かの有名な岡崎政宗や郷義弘も含まれていました。
刀鍛冶たちは、それぞれ丹精を込めた一振りを納め裁定を待ちました。
そして、厳正な協議の結果、岡崎政宗こそ当代一の名刀鍛冶であると裁定が下されたのです。
ところが、我こそ当代一と自負心を持っていた郷義弘はどうしても納得がいきませんでした。
自惚れ強い義弘は、政宗が選ばれたことが許せず、何か賄いでも贈ったに違いないといきりたちます。
そして直接対峙し事を決したいと、決闘も辞さぬ覚悟で越中から鎌倉時代の政宗の元を訪ねました。

精魂を打つ

政宗のもとを訪ねた義弘でしたが、屋敷に彼はおらず、代わりに鍛冶場から「トンテンカン」と刀を鍛える槌の音が漏れてきました。
そこで、義弘は鍛冶場に赴き、格子の隙間からから政宗が刀を打つところを覗き見たのです。
しかし、義弘はその光景に衝撃を受けました。
そこには清めた仕事場に、袴を履き衣服を整えた政宗がいました。そして端然と槌を振るうこうごうしい姿に、義弘は自分の考え違いを知らされたのです。
直ちに面会を願い出た義弘を、彼の訪問目的を知らない政宗は快く出迎えました。
その政宗に義弘は今までの一部始終を打ち明けました。
「先の刀鍛冶の勝負で貴方に遅れを取った私は、何か不正でもあったのではないかと勘ぐり、決闘をも辞さぬ覚悟で参りました。
しかし、先ほどからの貴方の姿を見るに、衣服を整え、実に姿勢正しく精魂を込めて刀を打っておられる。
それに対して、私は喉が乾けば飲み、暑ければ肌を脱ぎと言う有様で、とても貴方に及ぶところではありません。
私は技さえ優れておれば良い刀が打てると思っておりましたが、それは大きな間違いであると知らされました。」
そして、弟子入りを願い出た義弘に対し、最初政宗も謙遜して断っていましたが、彼があまりに頼むのでついには許したと言います。

飾れぬところ

浅はかな私は、どうしても見た目だけで仕事の優劣を測ってしまいます。
綺麗な書式や気の利いた言い回し、それがふんだんに盛り込まれていると、それだけで優れた資料に思ってしまいます。また、そんなものを作れる人を凄い人だと思いがちです。
しかし一言に重みがあり、本当にお客さんに信頼されているのは、必ずしもそんな人ではありません。
いつも机の整理整頓が行き届き、抜けがないようにタスク管理もきちんと行う。上司に心配をかけないように適切に報告を行い、スケジュール管理もきちんとしている。
それは、成果物としてお客さんには見えない部分です。そして、おそらく見える部分は、私の方が上手く作ることができるでしょう。
しかし、その人はお客さんから深く信頼されていて、とても私では敵わないと思います。
つまり、見える部分だけ飾っても及ばないものがあります。
郷義弘が岡崎政宗に見たのもそこだったのでしょう。

細部に宿るもの

身内のことで恐縮ですが、私の実家は喫茶店を経営しています。
そして、もうすぐ営業開始から30年を数えようとしていますが、その間ずっと守ってきたやり方があります。
それは、カレーにしろ、味噌汁にしろレトルトを使わず、調理場で鍋にかけて作っていることです。特にこだわっているハンバーグは、ひき肉からこねて提供をしています。
喫茶店用に便利なレトルトがない訳ではありません。それにこだわって手作りしても余分にお金が貰える訳でもありません。
もっと言えば、十分美味しいレトルトを使えば、それでお客さんには何の不満もないのです。
言わば、手作りはお客さんには見えない部分です。それを愚直に守り続けるのは、労力から言っても、原価から言ってもたいへんなことです。
しかしそれがなかったら、この外食産業の冬の時代に、ずっと営業を続けることは無理だったかも知れません。
効率とか、合理化ばかり優先すると、見えない部分は切り捨てられます。
しかし、見えないところを軽んじれば、いずれ仕事をする私たちの意識に表れます。
それは、見た目には分からなくても、雰囲気としてお客さんに伝わるものです。
仕事の出来不出来は細部に宿る。
お客さんが気づかないところ、あるいは見えないところにこそプロの仕事があると肝に銘じます。