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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分の人生を生きる

(写真:そらの残り火)

とかくにこの世は住みにくい

夏目漱石氏「草枕」に曰く、
『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。』
人に負けまい、騙されまい、馬鹿にされまいと、自分の知恵をたのみ、肩に力が入っていると付き合いにくい人だと敬遠されます。
だからと言って、何でも相手のいう事を鵜呑みにしていると、それで思わぬ手痛い目にあう事もあります。
気安い相手だからと、気楽に何でも喋ってしまい、それがとんでも無い所に筒抜けになって、心底怖い思いをしたことは一度や二度ではありません。
人に合わせると自分らしさが失われるからと、意地を張って我が道を行けば、あっちにゴツゴツ、こっちにゴツゴツぶつかって、ますます窮屈な人生になります。
所詮、賢ぶっても、相手に合わせても、我を通しても生きづらい。何れにしても住みにくいのが人間社会です。

死ぬときに後悔すること

でも、自分の人生は、たった一度です。
窮屈な思いをしたまま終わってしまえば、それでもう取り返しが効きません。
よく最近ネットで見かける「人が人生を終える時に後悔する20の項目」。
それは、人生取り返しがつかなくなってから後悔することなので、身につまされ、また自分の未来を暗示しているようで怖いタイトルです。
その後悔の筆頭が「他人がどう思うか気にしなければ良かった」です。
智に働いたら角が立ち、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈です。だから、なるべく人とぶつからないように身を縮めて生きるのが私たち大人の処世術です。
多少気持ちに合わないことがあっても、それで皆んなうまく行くなら自分が我慢すれば良い。まずは平穏無難に過ごせるのが一番と、周りに合わせて10年、20年、気がついてみれば人生の晩年を迎えます。
取り立ててトラブルなかったけれど、やりたいことは何もやって来なかった。人生の楽しみの半分も知らないまま死んで行かなくてはならない。
そう思って強烈に後悔が襲ってくるのでしょうね。

自分の人生を生きる

ならば、自分らしいとはどんな生き方なのでしょうか。
我を通してしたいようにする人生でしょうか。
気に入らない仕事は断固拒否、気が乗らなかったら出社を拒否し、あるいはさっさと早退する。
確かに、気ままで自由ではありますが、頼む立場としては、そんな人には怖くて仕事が任せられなくなります。
結局、自儘に振舞えば、人生の落伍者となるに過ぎません。
いくら自分の人生だと言っても、人の力を借りなくては朝晩の煮炊きすらままなりません。文明社会の恩恵を享受すると言うことは、他人とのしがらみの中に身を置くことです。人との関わり合いを嫌って引きこもりになっても、所詮は誰かに生かして貰わねばならないので、他者との関係を完全に断つことは不可能です。
ですから、自分の人生を生きると言っても、あくまでも多く人との関わり合いながらのことなのです。

しがらみと悔いない人生の両立

ならば、どうすれば人とのしがらみを持ちながら、自分らしく悔いのない人生を送ることができるのでしょうか。
しがらみとは、言わば時間的、空間的な人との関わりのことです。それを満たさなければ、人間社会では生きていけません。
しかし、価値観は必ずしも共有する必要はないと思います。
最近はいい歳をして、コスプレにはまっていたり、アニメサークルに一生懸命になっている人がいます。正直、そんな人を見ると「歳を考えたら」と眉をひそめる心があります。
それは、立派な大人のステレオタイプを自分が持っていて、コスプレに興じる大人をそのモノサシに合わないからと否定をしているのです。そして、自分の方がそのモノサシで言うところの立派な大人に近いと一人悦に入っでいる訳です。
でも、コスプレ氏の方が、自分のやりたいことや好きなものに正直だから偉いとも言えます。なぜなら、自分の気持ちを素直に表せる人はそれだけ心が強いからです。
翻って、自分の方こそ世間のステレオタイプに縛られて窮屈な思いをしているのではないでしょうか。
人間、歳を重ねたら人の上に立たねばならない、人から尊敬されねばならない。
でも、私のような不出来な人間が柄にもなく偉ぶっても、無理がかかって苦しむだけです。
ならば、いっそ世の中に蔓延している価値観やステレオタイプを疑って、本当に自分が大切にしていることに正直に生きれば、全く新しい人生観が開けるはずです。
そして、それは決して人間社会で果たすべきしがらみと、両立できないものではないと思います。