今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

否定は自分を傷つける

(写真:眼下の名古屋市)

指のさす先

昔、流行ったダメオヤジという漫画。
主人公は、会社でも家庭でも居場所がないダメな中年オヤジ。
仕事も出来なければ、家でも鬼嫁(劇中では「鬼ババ」)に頭が上がらない。
それどころか、人間的にもダメダメで、自分をひどく扱う人間の悪口を、公園でたまたま知り合った女の子にまでぶちまけます。
ところが、その女の子がこんなことを言いました。
「あのね、おじさん。あいつは悪いやつだって、人を指差すでしょ。その人差し指と、親指は相手の方を向いてるけど、後の3本はどっちを向いてる?中指と薬指と小指は、おじさんの方を指しているんだよ。」

自分を正当化するために人を否定する

年端もいかない少女にそう諭されたダメオヤジは、二の句がつげなくなってしまいます。
「あいつは悪いやつだ。自分を苦しめているのはあいつだ。」
私たちの心は何かと言うと、すぐそんな思いに埋め尽くされます。
「いや、そんなことないよ」と言われるかも知れません。
でも、ついつい私たちは人に不快な思いをさせているものです。
例えば、複数のレジがある店で、レジの前にそれぞれ並ぶのでなく、一箇所に一列に並んで、空いたレジから案内されるところがあります。よく見れば、床に「ここに並んでください」と印がしてあるのですが、慣れないとつい見落としてしまいます。
それで、分からずに直接レジの前に並んでいると、後ろの妙齢のおばさまから「すいません、ちゃんと並んでください」と怖い顔で注意されます。
わざとじゃないし、そんな嫌な言い方しなくてもと思います。そして、口では「あ、すいません」と殊勝そうに後ろにつくのですが、心はムカムカして、何か一言言ってやらねば気がすまぬと腹立ちが収まりません。
ひどい時は、その日一杯ムカムカしていることもあります。
自分の方が迷惑をかけていながら、原因が自分と認めることができないから、その怒りの原因を与えたと思しき人物を仕立てて否定するのです。

否定は自分を傷つける

「なんだあのおばさんは。あれでも女か。」
至極まっとうなことを言っている相手すら、自分を正当化したくて、すっかり悪者扱いです。
それで一日中、いや次の日も、また次の日もムカムカが続きます。
ムカムカは嫌ですね。
ムカムカしていると苦しくなります。
どうして、こんなに自分は苦しむのか、そうか、やっぱりあのおばさんの所為だ。
それでますますムカつきに火を注ぐ。
なんか、自分で勝手に炎上して、それで勝手に苦しんでいるような気がしませんか。
「あいつは悪いやつだ。」
でも、そう指さしたうちの3本は自分の方を向いてる。そう少女に諭されたダメオヤジは、自分を振り返らずにおれなかったでしょう。
「腹立つ、憎い、居なくなって欲しい、ひどい目に合えばいい。」
そう人に向けた怒りや恨みの感情は、その5本中3本までが自分に跳ね返っているのです。
だから、誰かに怒り、恨み、呪いの感情をぶつければぶつけるほど、自分自身の身を焼いて、傷つき苦しむのは道理です。

楽になりたければ自分を受け入れよ

この怒り、恨み、呪いの感情と私たちは決して無縁ではありません。
レジで注意されなくても、自分が行きたい方向ややりたい方向には、必ず邪魔者がいて行く手を塞いでいます。
自由にやらせてくれないばかりか、時に自分の気持ちとは完全に反対のことをさせようとします。
どうでしょうか。
胸に手を当てて考えてみれば、そんな相手の10人や20人はすぐ思い当たるでしょう。
言わば、それが人間関係の苦しみです。
自分のやりたいようにさせてくれない都合の悪い相手は、できることなら居なくなって欲しい人です。
「いなくなれ、いなくなれ」
そんなことを考えて、でも心は憎いその相手で一杯です。
憎い相手なら、離れていれば良いものを、いつもその人のことばかり考えて心が占められているから、四六時中一緒にいるような苦しみを味わいます。
いっそ、忘れてしまえたら良いのに、人間目の前の苦しみがあると、どうしてもそれをなんとかしたくなるもののようです。
まるで、口の中にできた口内炎を、ほっておけば良いものを、つい舌でいじくり回して、より痛い思いをするに等しいではありませんか。
ならば、どうしたら良いのでしょう。
恨みつらみの苦しみから逃れる術は二つも三つもありません。
それはただ、苦しみを与えた相手を恨むのをやめて、その苦しみの原因を自分に求めることだけです。
「そうか、自分に原因があったから今苦しんでいるのか。あの人が原因ではなかった。」
そう分かると、今までの苦しみが日に照らされた雪のように消えて楽になりますし、おそらく経験している人も多いと思います。
でも、なぜそう分かっていても、ついつい人を否定し、恨み呪うことをやめないのか。
それを認めることは、至らない自分と向き合うことになるからです。そして、それはいつも自惚れていたい自分の自尊心に水をさすことになるからです。
その勇気がなくて、ついつい原因を他に求めても身を焼きます。
そんな苦しくて辛い時、心の人差し指と親指はどちらに向いてるか、きちんと見つめてみたいと思います。そして、自分に向いている3本の指に気がつく時、それが本当の苦しみの原因だったと分かります。