今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人の意見から選択肢の可能性を得る

(写真:クレーン乱舞 その1)

頼みにしたいのは自分

いつも正しいのは自分、そして頼みになるのも自分。
口に出して言わないまでも、人間はどこかにそんな自負心を持っています。
自分が間違うはずがないから、その自分に意見をされるのを嫌います。
自分が痛い目に会う前にストップをかけてくれるのですから、間違っていることを間違っていると教えてくれる相手には本当は感謝すべきです。
しかし、間違い指摘し、機を責める人はあまり好きでない相手になります。それほどまでに自己愛が強いのが私です。

智者と愚者

「愚者は賢者にも学ばず、賢者は愚者にも学ぶ」と言われます。
自分は愚者か、賢者か。
賢者はおこがましいが、せめて愚者とは言われたくない。
愚者は自分の周りにいる、あんな人、こんな人。それに比べれば自分は余程マシ。
そう高上がりし、人を見下ろして口に出さなくても賢者を気取る。
その証拠に賢しらな顔をして口さえ開けば人を批評し、批判しています。
そんな私こそ、一人悦に入って、すっかり周りから浮いている愚か者なのだと気がつきます。
対して、本当の賢者とは、謙虚に人の意見を入れます。
中国史上有名な名将韓信にこんなエピソードかあります。
わずか三万の兵力で趙軍二十万の大軍と戦うことになった韓信。ここで有名な背水の陣の奇策を取り、別働隊と協力して趙軍を打ち破りました。
趙王歇は捕らえれ首を刎ねられ、趙の賢臣と名の高かった李左車も捕らえられました。
ところが、韓信は李左車を殺そうとせず、縄をほどき燕、斉の攻略方法について教えを乞いました。
最初「敗軍の将は兵を語らず」と韓信の申し出を固辞していた李左車でしたが、韓信が余りに礼を尽くして頼むのでついには一つの策を授けます。

他者の意見は可能性を開く

李左車の授けた策はこうでした。
「 将軍(韓信)の兵は国を遠く離れて連戦に次ぐ連戦、兵馬ともに疲れ果てております。
このまま燕や斉を攻めても、かの国の堅城は容易には抜けず、戦に時間がかかればついには将軍自らの身も危うくなるでしょう。
まずは、よく兵馬を休ませることです。
ましてや、少数の兵で魏や趙を破った将軍の勇名は轟いており、燕や斉は恐れております。
趙を鎮定し、戦没者の遺民たちに施しを行えば、趙の民は将軍を讃え、ますます威徳は四隣に響くでありましょう。
その上で、燕を攻める姿勢を見せ、雄弁の士を遣わして利をもって説けば、必ずや燕は将軍の元に下るでありましょう。」
この献策を用いた韓信は、やがて戦わずして燕を征服したと言います。
天下の大将軍韓信が、征服した国の武将の意見を求めることは、なかなかできることではありません。
しかし、趙王羯は李左車の策を用いずに韓信に敗れ、韓信は彼の策を用いて燕を手に入れました。
李左車は韓信に真の賢人を見たことでしょう。

謙虚と言う教師

もし、韓信が李左車に意見を求めなかったら、彼の覇業はどうなっていたでしょう。
燕や斉の堅城に阻まれ兵馬は疲弊し、やがてその内情を両国が知るところとなれば、逆に城を出て攻めかけられたかも知れません。
そうすれば韓信の覇業は潰え、果ては国王劉邦の漢建国もなかったかも知れないのです。
韓信が、敵将の李左車に何度断られても意見を求め続けた謙虚さは、彼に大きな可能性をもたらしました。
立場や都合にとらわれず、謙虚に意見を求める姿勢は私たちに大きな可能性を開き、また学びの機会を与えます。
年齢が上だから、立場的には自分の方が上に立っているからと、謙虚に意見を求めなければそれ以上学べることはありません。
そもそも今自分が得ている知識や経験は、先輩諸氏に頭を下げて学んだものなのです。
そして世の中は移りゆき、それに連れて学ぶことも、また学べる機会も多くなります。
しかし、私たちは「もうこの歳になって学びたくない」と学びから遠ざかることばかりを考えています。でも、本当はプライドが邪魔をして謙虚に頭を下げることを妨げているに過ぎません。
年とともに自尊心ばかり強くなって、人の意見が聞けなくなっています。
それでも有難いことに、この歳になっても意見を言ってくれる人が私の周りにはたくさんいます。余程頼りなく思えるのかも知れませんし、またそれが分かるからとても恥ずかしいのですが、それだけ可能性の扉がたくさん開いていると感謝せずにおれません。