今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

証明は行動で

(写真:水のある風景 その3)

評価乞食

「愛してる?ダーリン?」
「もちろんだよ、マイスイートハート。」
よく昔のアメリカのファミリードラマで見られたシーンです。
対して、日本の男は、自分の妻に「愛してる」「好きだ」とは滅多に言いませんし、言わなくても分かっているだろ、と一応の理屈があります。
でも、アメリカの夫婦はどんどん声に出してお互いの気持ちを確かめ合います。
声に出してハッキリ意思表示する文化だとも言えます。またそれだけ自分の評価を分かりやすく聞きたいのだとも思います。
しかし日本人も、本当は声に出して分かりやすく、何度でも褒めて貰いたい気持ちは変わりません。
特にプライドを食べて生きている男性は、「凄いね」「優秀だね」「頼りになるわ」「プロフェッショナルだね」と何度も度も繰り返して言って貰いたいのです。
時に、それで財産を投げ出すことも、あるいは命を縮めることもあります。
人からの評価、私たちは常にそれに取り憑かれています。
自分が恥ずかしくて消え入りそうな時でも、私たちの心にあるものは何でしょう。
失敗をして人に迷惑をかけた罪悪感よりも、それで失ってしまった評価が心配です。
評価!評価!評価!
まさに、評価が欲しくて振り回されている、評価乞食とは私のことです。

評価を生むもの

「評価しろ!」「こっちを見ろ!」
私の心は常にそう叫び続けています。
人が評価されると面白くない。反対に自分が評価されると嬉しくて天にも舞い上がる。
「評価が欲しい」「評価が欲しい」
上の人を見ながら、大変そうだな、出世なんかするもんじゃないな、と日頃思っている癖して、いざ抜擢の辞令を受けると喜んでつい手が出てしまう。
それは、自分が会社から評価されたからです。そして、もっと評価されたいからです。
もはや、そこでは「楽は下に有り」と言う平凡な真理は吹き飛んでしまっています。
しかし、現実は何時までたってもお呼びがかからない。
一体周りはオレの何を見ているんだ!
評価して貰えなかったら、今度は自分から評価を要求し始めます。
「出世させてくれ」
もちろん、そんなストレートなことは言えません。
だから、後輩のところに行って、ひとくさり大人の意見をのたまう。
内心では彼らから軽くバカにされているとは気がつかずに「さすが我が社の生き字引ですすね」などと言われて良い気持ちになる。
ついには、それから後輩のところに入り浸る完全に面倒くさい先輩となり果てます。
でも、本当の評価は表面的な言葉だけで満足するような軽いものではないでしょう。
その人の実績とか、実力が周りに尊敬の念をを抱かせるものです。
口に出して褒められなくても、いざという時頼られる、あるいは意見を求められる。
それこそ、本当の評価なのではないでしょうか。

行動が先、評価は後

評価を得たい。
自分が有能だと証明したい。
ならば、そのように行動をするしかありません。
世界一足が早いと証明したければ、オリンピックで金メダルを取るしかないのです。
実際に行動し、結果を残して実績を積む。
そして、それを見て周りが評価をしてくれます。
よし、じゃあ、早速行動あるのみ!
勢いこんで始めたものの、結果はそんなに簡単に表れるものではありません。
やってもやっても、時間ばかりが過ぎてゆく。そして、周りには成功をして、評価をされている人が一人二人と表れています。
どうして、自分だけ結果がでないのか?
自分だって褒められたいし、評価をされたい。
評価!評価!評価!
いつの間にやら足元の努力が宙に浮いて、手っ取り早く評価されることばかりに心を奪われ、評価乞食に逆戻りです。
しかし、お気づきのように、行動→結果→証明→評価の順番です。
まず、蒔くべきものを蒔かずして、いきなり結果も、評価も得られるものではありません。

やり続ける才能

最初から評価を求めても詮無いこと。
何の価値のないものを褒める人はいませんし、また褒めたら嘘つきになります。
だから、私たちは褒められる価値のある人間にならねばなりません。
もちろん、これまでの会社員人生で、頑張って実績も残しましたし、評価もされました。
そして、キャリアを積んで歳を重ねた分、それが仕事をする上での支えであり、自分の存在証明です。
しかし、仕事は日々変化し、昔のキャリアはどんどん陳腐化をしていきます。
だから、いくらキャリアを積んでも、目の前にいる新人同様頑張って壁を超えなくてはなりません。
そこを間違うと、前評判ばかり高くて、実際に仕事をさせてみたら全く役に立たないダメオヤジだったと言うことになります。
かつて司馬遼太郎氏は、小説「関ヶ原」の中で、豊臣方の安国寺恵瓊や大谷刑部を引き合いに出して、「あれだけ戦国乱世で活躍した軍師や武将が、関ヶ原の戦いでは全く精彩を欠いていたのは何故だろう」と書いています。
思うにかつての名軍師も、豊臣秀吉以降、徳川家康台頭期の新しい状況についていけなかったのでしょう。
私たち世代は、過去それなりの実績を残し、それで今も評価をされています。しかし、その評価は実業で成果がだせなければ、「なあんだ」と周りの落胆に一転しやすいのです。
しかも、目の前の仕事は、過去の経験が生かされない、全くの初ごとです。
ならば、過去の評価に振り回されずに頑張るしかありません。
いつの時代も、行動→結果→証明→評価の順番は変わりません。
常に評価を得たいと思えば、たゆまず行動し、証明し続けるしかないと肝に銘じます。