今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

最後まで貫徹できる結論をだすのが本当の「決断」

(写真:放射する枝)

考えが浅い病

私は自分のことを「考えが浅い病」だと思っています。
深く考えずに行動しては、後から問題を発生させています。そして、その問題解決のために手を打つのですが、それがまた場当たり的で、ますます傷を広げてしまいます。
かくして、失策が失策を生み、いつも人の倍苦労しているのが私の実態です。
物事には、必ず功罪があります。
抗ガン剤のように、見かけ上は良いように思えても、裏にはとんでもない副作用が潜んでいたりします。
それを見極めずに安易に手を打つと、思わぬ問題が発覚して、手を打つ前以上に苦しむことになります。
そして、いつも「こんなことなら、安易に考えずに、きちんと見極めて手を打つべきだった」と後悔をするのです。

問われて困る想定

安易な想定は、他者から見れば「あれ?なんかおかしいぞ」と違和感を感じるものです。
しかし、自分では意外にそこに気が付きません。それは、自分で自分の考えを否定するのはなかなかに難しいからです。
人間には強い自惚れの心がありますし、自分で名案だと思うと、それに酔ってしまうところもあります。
だから、どんな名経営者でも、必ず周りの意見を聞いて自分の考えを確かめるのでしょうね。
しかし、自分一人でもしっかり思考できるようにしておかないと、緊急時に自分の判断だけで行動しなければならない場合に間違えてしまいます。あるいは、考えを求められた時におかしなことを言っていると、「なあんだ、その程度か」と評価を下げてしまいます。
ですから、「この想定に問われて困る点はないか」とか「穴はないか」と自己検証をできる力を磨きたいものです。

貫徹する結論

想定をどこまでするか。
大切なのは着地点です。
対して、着想は物事の入り口から行うものです。
そして、入り込み口だけで満足して、着地点やその後どうなっていくのかを想定せずに進めてしまいがちです。
入り口になんとか入り込めてヤレヤレと思っても、やがて障害が立ちふさがれば、なす術もなく頓挫してしまいます。あるいは、先の見通しも十分行わないまま、甘い対処を行って、さらにひどい結果を招きます。
ですから、想定は着地点を基準とし、プロセスはそこからの逆算で組み立てるべきものです。
・・・
ゴールはこうなっている。
→その手前は、こうでなくてはならない。
→またその手前は、こうなっているはずだ。
→だから、この入り口から、このような形で入るのが正しい。
・・・
着地点を基準にするのは、貫徹することが前提だからです。
貫徹の前提がない想定は、危険だし、また無駄になる可能性が高いのです。

考える力、そして習慣

もちろん、私も全く何も考えずに、口から出まかせばかりを言っている訳ではありません。自分なりに考えた結果を言ったり、やったりしています。
しかし、その考え自体が浅いところが難点です。
浅いのは、考えはするものの、すぐに考えることを止めてしまうからです。
少し考えて、ちょっと気に入った答えに到達すると、すぐそれに飛びついてしまいます。
そして、途中で起きうる問題点はおろか、着地点すら想定しないまま始めてしまうのです。
だから、ここで求められているのは、「考える力」ではなく、「考え抜く力」です。
考えることは、本来とてもシンドイことです。だから、すぐに結論を出して、次に進もうとする心があります。
そこを許さず、考えをこの場に縛り付けて、徹底的に検証し、修正し、また検証します。
この考え抜く力は、能力以前に習慣化で養われるものだと思います。
考え抜く力、そしてそれを鍛える習慣こそ、今の自分に一番必要なものです。