今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

9条考

(写真:青空の枝ぶり)

憲法9条

憲法9条。
「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」
9条は、日本国憲法の三大原則(「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」)のうち、「平和主義」を規定したものです。
9条は2項からなり、1項は「戦争の放棄」、2項前段は「戦力の不保持」、後段は「交戦権の否認」で構成されています。
この平和主義を含む日本国憲法は、太平洋戦争敗戦後、GHQが作成した草案を受け、それに沿う形で成立したと言われます。そのため、「押しつけ憲法論」と言う認識が広がり、日本人の手によって書き直そうと言う議論が盛んに行われるようになりました。
それが、今の憲法改正論に繋がっていると言われています。

理想と現実

wikipediaによれば、憲法の草案を誰が作ったかについては、いろいろな説があるようです。
その一つに、「タイムマシン」で有名なSF作家、H.G.ウェルズが草案作りに大きな影響を与えたとされる記述があります。特に、9条の平和主義に、ウェルズの人権思想が色濃く出ていると言われます。
ウェルズも、この9条の原案を世界全体に適用して初めて、戦争放棄と戦力の不保持ができると考えました。しかし適用されたのは、結局日本一国に止まっています。
ウェルズの願いとは裏腹に、戦争放棄と戦力の不保持は、一国だけで宣言することは無理だったようです。
この間、アメリカのオバマ大統領が、核兵器の先制不使用を提案し、各国に賛同を求めました。それに対して、唯一の被爆国であり、また、平和憲法を掲げる日本は当然賛同するはずでした。
しかし日本の安倍首相は、それにノーを出したのです。
海を隔てた隣国の北朝鮮が、核実験を行い、さらに日本に向けて長距離弾道弾の発射実験を繰り返しています。その中、核の先制不使用を宣言したら、北朝鮮から核攻撃を受けるリスクが高まると懸念したのです。
つまり、喉もとに刃物を突きつけられた立場としては、平和主義の理想よりも、なんとしても身の安全を図りたい心情があります。
私たちが今、戦争の放棄や、武器の不保持を言っていられるのも、ひとえにそれが許される状況があるからに過ぎません。
そして、戦争放棄や平和主義を叫ぶものの、私たちを傘の下に入れて守っている同盟国が攻撃を受けた時、その時も指を咥えて交戦権の否認と言っていて良いのか、国家間の道義にもとるのではないか。
そんな議論が延々と繰り返されています。

憲法の改正は許容すべきか

では政府は、その憲法9条をどのように改正しようとしているのか。
自民党の憲法改正草案によれば、
「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」
とあります。
そして、第9条の2として、国防軍の保持を認め、3として、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」と記載されています。
まず9条で、戦争放棄に「国権の発動としての」と条件を付け、「国際紛争を解決する手段としては用い」なければ武力の行使も、やぶさかでないことを認めた形になっています。
総括すれば、先制攻撃や侵略行為に武力は認められないが、日本国の主権や領土、領海、領空、そして資源が脅かされる時には、自衛のために軍隊保持も、武力の使用も認めると読むことができます。

憲法の縛るもの

国家の主権が脅かされる時、あるいは国民の財産、および生命に危険が迫った時、私たちが自分で自分の身を守ることは当然です。
それは、許容されることでもなければ、誰かにお伺いを立てることでもありません。
だから、この改正草案に書かれていることは、日本が国際社会で自主存立するには極めて当たり前のことです。
ただ、気をつけなくてはならないのは、本来憲法が縛るのは私たち国民の行動ではないと言うことです。
憲法の目的は、為政者を縛り、その行き過ぎた行動を制約する為のものです。
確かに、現行の憲法9条が制約となって自由に国際貢献ができないデメリットはあったと思います。
しかし戦後70年、世界ではいろいろな紛争がありましたが、憲法9条のおかげで巻き込まれずに済んだのも事実です。
朝鮮戦争しかり、湾岸戦争しかり、アフガン派兵しかりです。
その憲法9条の、多少過剰と言われるまでのタガを外してしまうと、例えば同盟国からの派兵要請があった時の歯止めがかからなくなります。
あるいは、尖閣諸島問題のように領土、領海、領空の侵犯が起きた時に、「国民と協力して」の一文を根拠に徴兵制が復活する可能性もあります。
ですから、実利や現状に合わせて、今の憲法を変えたら良いと言う判断はできません。
あくまで、憲法は為政者を縛るものなので、現状に合わなくても、理想主義に過ぎるくらいで丁度良いと思うのです。