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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

頼られるほど、厳しくなる

(写真:タワーズ イン ブルー その1)

ある管理職の嘆き

ある管理者の方。
私から見ると、その会社はほぼその人で回っているのに、「上からは厳しく叱責される」とよく嘆かれています。
仕事の範疇は完全に職位や待遇を超えていて、仕事時間も人一倍長い。
それでも、負った責任について思ったような結果が出ないと厳しく責められます。
トップとの会議の時は、さぞ朝から気が重いだろうと拝察しますが、叱責されてもそれを愚痴るのでなく、「次はどうしたら良いか」と常に前向きに立ち上がって来られます。
心から尊敬できる方だと思います。

怒られるのは、ダメだからじゃない

怒られて嬉しい人はいません。
そして、怒られることはできれば避けたいと思います。
あるいは、怒るような人からは、なるべく離れていたい。
でも、よく考えてみれば、怒られたからと言って何も失う訳ではありません。
身体が傷つく訳でもなければ、お金が減る訳でもない。余程甚だしいことがなければ、降格される訳でも、会社をクビになる訳でもありません。給料が減る訳でもない。
朝出社して、怒られて、夜帰宅する時、ふと考えます。怒られたのは辛かったけど、今の時間はいつもと何も変わらない。考えてみれば何も失っていないんだな、と。
でも、怒られるのは嫌なものです。
なぜなら心が傷つきます。
そして、心秘かに持っていた自分へのプライドを打ち砕かれてしまいます。
それは自己肯定感の喪失であり、自分の居場所がなくなったように思うからです。
だから、今得ている待遇を捨ててまで、怒られない環境へと逃げだす人もいます。
しかし、叱責する方はどうでしょうか。
意外に自分が発した言葉が、相手にどう届くかには無自覚なものです。ましてや、相手の全人格を否定しているつもりはありません。
しかし、叱られた方は、まるでダメの烙印を押されたような気分になって、落ち込んで辛い思いをします。
対して叱る方は、起こった事柄の不手際は責めても、その人自身にダメ出しをしているわけではないのです。

怒られるのは、頼られているから

よく思いだすのは、親に八つ当たりする子供。
夏休みの宿題がたくさん残ったと言っては八つ当たりし、登校日に起こして貰えず遅刻したと言っては八つ当たりする。
工作が上手にできないと言っては八つ当たりし、靴下がうまくはけないと言っては八つ当たりする。
これは、怒りの感情と同時に、子供の親への強烈な依存心が現れています。
つまり私たちは深く依存するほど、相手に対する要望をエスカレートさせます。そして、強くなった要望は満たされないと、怒りに変わりやすいのです。
だから、相手に厳しく叱責されることは、それだけ高い要望を持たれているからであり、また頼られている証拠です。
確かに、期待も要望もない相手には怒るだけ時間の無駄になります。ですから、怒られると言うことは、それだけ相手から高く評価されていると考えても良いように思います。

怒られて確かめる存在承認

お店での店員の対応が悪ければ、私たちは怒ります。提供された料理が不味くても腹立つ感情が起こります。
それは、店員さんの良い対応を期待していたからであり、料理が美味しいことを期待していたからです。
その期待を裏切られると私たちは怒りをあらわにします。
つまり、怒るのは期待しているからで、相手が私にとって大切な人間であることの裏返しです。
怒られると存在を否定された気分になって辛い思いをしますが、実は叱られる度に存在を承認されていることになります。
逆に怒られなくなったら、その人の中で自分の存在が消されているので、かなり危機感を持つべきです。
これは私たちの日ごろの感情とは逆の考え方です。しかし、よく考えてみたらあながち間違いではないように思います。
こう思えば、いつも怒られてばかりの私ですが、少し元気を出て頑張れるような気がします。