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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

見えない断崖

(写真:かざはな)

デスゲーム

人気漫画、そして映画にもなった「賭博黙示録『カイジ』」に有名なシーンがあります。
金融業者から多額の借金を重ね、さらに返せるあてがないと見なされた債務者は、その会社から身柄を拘束され、地下で辛い労働を強いられます。
そして債務者たちは、そこから抜け出るチャンスとして、あるゲームへの参加を持ちかけられます。
その名も『死の平均台』。
内容はいたって簡単で、鉄骨の平均台の端から端までを渡りさえすれば1000万が貰えます。
しかし、その平均台はビルとビルの間の、地上400メートルに渡されたものでした。
高さにに目がくらみ、あるいはビルの谷間から吹き上げる風に煽られてしゃがみ込めば、今度は鉄骨に流れている高圧電流にさらされます。
足を踏み外しても死、怖気づいてしゃがみ込んでも死。まさに死の平均台、『デスゲーム』です。
一度は、「向こうまで渡りさえすればいいんだろ」と気勢を上げ、勢い込んで渡り始めた彼らでしたが、地上400メートルの光景に目が眩み、バランスを崩して転落するもの、耐えきれずしゃがみ込んで感電して転落するものが次々と現れたのです。

見えない断崖

もし、それが地上1メートルなら、殆どの参加者は無事に渡り切れたかも知れません。
しかし、地上400メートルの、墜落したら即、死が待っている状況が参加者をパニックに陥れます。かくして、平均台の途中で一歩も動けなくなるもの、立ち止まっている仲間を助かりたい一心で突き落とすもの、たまらず仲間にすがりついて一緒に転落するものが後を絶ちませんでした。
そして、最後まで無事に向こう側まで渡り切ったのはカイジ一人だったのです。
1000万は大金です。しかし、そのために命まで差し出す必要があるのか、この漫画は非常に重いテーマを含んでいます。
また日頃難なくこなしている行為でも、それが死と直結すると、私たちは途端に身動きが取れなくなることも教えています。
例えば、竹刀では剣の達人と言われた人も、いざ真剣白刃の勝負になると、腰が引けて勝負にならないと聞いたことがあります。
真剣の勝負は、相手の刀が自分に届けば簡単に手が飛び、足が飛びます。そして、身体に届けば絶命します。それが分かっていて、堂々と相手の刀の間合いに飛び込めるのは相当の人です。
しかし、死に直結することは、私たちが気づかないだけで日常にたくさん潜んでいます。
夜、目の前の白い道をたどって歩いていた人が、日が昇ると同時に肝をつぶしました。なんと道の左右は切り立った断崖だったのです。一歩でも足を踏み外したら、たちまち転落して落命します。
それが分かったら、この旅人は恐ろしくて一歩も歩けなくなるでしょう。
そう、まるで人生はこの見えない断崖の間をたどっているようなものです。

見えないから安心していること

国道156号線、通称「イチコロ線」。
岐阜と富山を結ぶ、御母衣ダムに沿って走っている細い山道です。156号線を走っていた車が御母衣ダムに転落して、乗っている人が亡くなったと言う悲しい事故をよく聞きました。
それくらいハンドル操作が難しい道です。
そこを向こう見ずな学生の頃、よく自動車に乗って走っていました。しかも、夜に走っていたので、左右に曲がりくねったガードレールだけを見て必死にハンドルを操作していたのです。
ところが、ある時昼間に走ることがありました。夜目には分からなかったのですが、なんとガードレールの向こうが切り立った崖になっている場所がたくさんありました。しかも、そのガードレールすら切れているところもあり、転落したらまず助かりません。
夜目に安心して走っていた道が、日の光にさらされた途端、危険きわまりない道に思えたのです。
このように、見えないから安心して生きていられることが日常にたくさんあります。
命がけと言えば、かなりの頻度で利用している高速道路もそれに当たります。鉄の塊に乗り込んで時速100キロで突っ走っているのです。少しハンドル操作を間違えたら、同乗者もろとも死なねばなりません。
こんな危険きわまりない行為をしながら、到着した先でのレジャーのことばかり考えているのです。我ながら、この神経が不思議です。

正常性バイアス

なぜ、人間は日常に死の危険を抱えながら安心して生きていられるのか。
それは、正常性のバイアスの働きだと言われます。
このバイアスは、どのように働くのでしょうか?
例えば、最近スマホ等で緊急地震警報が発報されます。
「あと何秒で地震が来ます!」等。
しかし、その時、慌てて机の下に潜り込む人は、まず居ません。
あるいは、実際揺れていても、震度3くらいなら平然としています。
それは、自分だけは滅多なことはなかろうと思っているからです。
地震が来ても、大丈夫。
津波が来ると言っているけど、そんなに大袈裟に騒ぐ必要はない。
前に犯罪のあった場所だけど、きっと自分は安全だ。
同い年に血管の病気が頻発しているけど、自分は多分問題ない。
今まで車を運転しているけど、大きな事故を起こさなかったから、これからも心配ない。
危険地域で活動しても、おそらく無事に帰ってこられる。
・・・
人のことなら、何を馬鹿なことをと一言物申すところ、自分のことになると、「大丈夫」「滅多なことなどあるはずがない」とドターッと座り込む根性しかありません。
確かに、いちいちこんなことを心配していたら、たちまち神経を病んでしまいます、
そのストレスから私たちを守るために、目の前の危険や死のリスクを覆い隠す働きが正常性バイアスです。
これは私たちが毎日を心安らかに送るのにとても有り難い働きですが、その正常性バイアスの目隠しに反して危機は現実に迫ります。
そう、時に正常性バイアスは疑わねばならないのです。
そして、危機は現実に自分にも起きると言う前提で行動しなければ、突然の災難に飲み込まれてしまいます。まるで、東日本大震災で、地震の後の津波を軽く見て逃げ遅れた人たちのように。
本当は、私たちは見えない断崖のヘリを歩いている存在です。そのことをよく自覚して、危険を正しく想定し、本当のリスクに備えなくてはなりません。