今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ベストを振る舞う

(写真:綿化粧の樹々)

聖人君子ではないのだから

(独白)
聖人君子ではないのだから、欲もあれば、腹立つこともある。
うまくやっている人が妬ましく、気に入らないことがあれば腹底で恨み憎しむ。
それでも、心は穏やかでありたいし、人には親切丁寧にしたい。
ただ、難しいことに直面したり、焦っている時は、心が波立って、ついそのまま行動しそうになる。
でも、心をそのまま姿に表したら、誰かを傷つけて怨みを残す。
そう、相手にも心があるのだから、ひどい言葉を吐けば心が傷つくし、恨みに悶えて苦しみ悩むだろう。
だから、相手を苦しめるような言動は慎まなければならない、そう思いはすれど・・・。

あえて、ベストを振る舞う

自分が一杯一杯の時、人を気遣うのはなかなかたいへんです。
余裕のある時なら、いくらでも時間を割いて親切な対応ができるのに、切羽詰まってくるとどうしても我が身可愛さでぞんざいな対応をしがちです。
そして、こわばる相手を目の当たりにしながら思うことは、
「だってしょうがないじゃないか。この状況で声をかけてくる向こうが悪い。」
そう一生懸命言い訳をしますが、やはり冷静になった時に後悔が押し寄せてきます。
それは心ない一言で相手の気持ちを遠ざけ、信頼を失ってしまったからです。そして、下げてしまった評価は取り戻すのに多くの時間を費やさねばなりません。
だから、いつも口を開く時は、まず自分に問いかけたいものです。
「果たして、この言動はベストなのか。」
時に相手に厳しいことを言わねばならないこともあるでしょう。突き放すことも大切です。しかし、自分に余裕があって、気持ちが安定している時にも同じことを言うだろうか?これはベストの対応なのだろうか?
そして、もっとベストな言動があると思うならば、心に逆らってそのベストを振る舞わねばなりません。

上等、中等、下等

人間に上等、中等、下等があると言います。
これは家柄や能力の話ではありません。
また、聖人君子と俗人のことでもありません。
70億の人間あれども、欲があり、腹も立つ、そんかギリギリ一杯の姿は共通しています。
ただ、違うのはそのまま姿に表して行動するか、しないかです。
曰く、
『腹が立った時に、腹立ちのまま怒鳴り散らす人間を下等とする。
怒鳴り散らしそうな心をグッと堪え、顔はひきつりながらも我慢する人間を中等とする。
腹底に怒りのヘビが猛り狂っていても、表面にはそれを出さず、何事もなかったように振る舞える人を上等とする。」
腹が立たない人間はありません。しかし、感情のまま振舞って良いことは一つもありません。
徳川家康は、「怒りは敵と思え。堪忍は無事長久のもとなり」と言っています。
家康のように天下を意のままにできた人物が、感情を抑え堪忍を旨として生きていたのです。自分への誹謗に腹を立て、何十人も処刑した豊臣秀吉とは、そこが雲泥の差です。
ここに、わずか一代で滅んだ豊臣家と、三百年の太平の世を築いた徳川家の違いが現れているようです。

真似からでも光に向かう

堪忍は無事長久のもと、そう聞かされても感情は抑えられません。
やはり、自分に都合が悪ければ、心は激しく波立ちます。その感情を抑え、ベストを振る舞う時は、自分の心と戦わねばなりません。
納得していない自分の感情を無理やりねじ伏せて、顔には努めて冷静な仮面をかぶる。
だから、ベストの顔は作った顔であり、本心を隠す仮面です。
そんなニセモノの生き方はまっぴら御免と言う人もあるでしょう。
それでも、周りは「いつも紳士的で、優しい人」と評価してくれます。それが定着すれば、今度はそれを裏切るまいと強い動機が生まれます。そして、心が強くなり、ベストの仮面がいずれ本物の顔になります。
まずは、真似からです。
多少無理してでもベストを振る舞う。
すると、
『言葉が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。』
そして、いつかベストの人生が開けるのです。