今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

運を天に任すはマネジメントではない

(写真:闇に溶ける街 その2)

手の届くこと、届かないこと

世の中には自分たちの努力でなんとかなることと、ならないことがあります。
例えば、一緒に仕事を進めている会社が前工程を受け持っている場合、そこから仕上がって来ないと自分たちは完全に手待ちになります。
相手が遅れたら遅れた分だけ、自分たちの仕事が遅れてしまいます。
そして、仕事の遅れの理由を相手の所為にして、そのまま報告しがちです。
だって、仕方ありません。自分ではなんともなりませんから。
ついには、
「すいません。協力会社の納期が1カ月遅れるので、私たちの納期も1カ月遅れます。」と平気で口にします。
ただ、それを聞いてすんなりと「ああ、そうですか」と受け入れる上司も、またお客さんもいないでしょう。

運を天に任す

おそらく「運を天に任せ過ぎだ」と怒られます。
そもそも、その協力会社を選んだのはどこなのか。少しでも早く納められるよう交渉はしたのか。あるいは、こちらから協力を申し出たか。協力会社を変える選択肢はなかったか。あるいは、手待ちの間に他の仕事を前倒しにして、後工程でなんとか取り返せるよう工夫をしているのか。
・・・等々。
正直、相手の所為にして気を抜いていたところ、そこまで詰め寄られたら冷や汗しかありません。
自分の所為じゃないし、そこまでキツく言わなくても良いじゃないか、と言う気分にもなりますが、自分が逆の立場だったらどうでしょうか。
例えば、楽しみにしていた家族旅行。出発の前日に、他のツアー客が大量にキャンセルした所為で、ツアー自体が成り立たなくなったと連絡を受けたとします。
こんなことは滅多にないでしょうが、そんな時「ああ、そうですか」と納得できますか?
なぜなら、そのためにスケジュールも開け、旅行先のこともずっと調べていたのです。
他のツアー客にちゃんと交渉したか、あるいはすぐに再募集はしたのか。他のツアーとの合同企画にはならないのか。代替地の斡旋はできないか。
そして、もし旅行会社の担当者に気の抜けた返事をされたら、怒り心頭に達するでしょう。

待つしかなくても、備えることはできる

私たちは他に責任を押し付けられるところがあると、すぐそれに乗っかろうとします。
「それは自分たちの担当ではないし、待つしかないじゃないですか。」
さらに、口に出して言わなくても、
「他がヘタ打っているのだし、自分に言われても困る」とまで考えています。
しかし、よく反省してみれば、自分が怠けたい一杯なだけです。
面倒臭い責任はみんな他に預けて、要は「自分は悪くない」が言いたいだけ。また、それで済むと平気で思っている。
なんとも幼くて、情けない考え方しか出来ていないと反省させられます。
確かに、世の中には自分の手の届くこと、届かないことが存在します。そして、手の届かないところは待つしかありません。それは一応理屈です。
しかし、待つしか出来なくても、想定はできます。それは、こちらに都合の良い想定ばかりでなく、その都合が完全に裏切られた時の想定が大事です。そして、最悪を想定するから、それに備えることができるのです。

運を天に任せない

平成にガメラがリメークされた頃、こんな印象的なシーンがありました。
仲村トオル扮する海自の護衛艦艦長が、プルトニウムを積載した輸送船護衛の任に当たっていました。
その航行中に、海の中を進む巨大な影に遭遇したのです。クジラや潜水艦の類ではありません。あきらかに、想像を絶する異生物でした。
その異生物捜索のプロジェクトが発足した時、仲村トオル扮する艦長はプロジェクトメンバーへの参加を願い出ます。
「ことなきを得たとは言え、プルトニウムの輸送船を危険に晒した私の責任は重大です。」
言わずと知れた巨大な影とはガメラであり、そんな異生物の存在など想定しろという方が無理です。その意味で、そこまで自分の任務に責任を問う仲村トオルの姿勢は新鮮でした。
しかし、このシーンから現場のリーダーとしての責任ある言動を教わりました。
自分でコントロールできないことでも、あえて責任を自覚する。それは、任務の結果にトータルで責任を持つ立場だからです。
一度現場の担当、あるいは責任者に任じられたら、後は予定通り結果が出るか出ないか、目的地に着くか着かないかだけが問題です。
当然、想定外や不可抗力の部分も織り込んでおく必要があります。
そして、自分の手の届かないからと、そこを切り離して考えたら責任ある行動は取れません。
だから、責任あるマネジメントは「運を天に任せない」のです。
肝に銘じたいと思います。