今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

一番怖いものを知る

(写真:ナイト・クレーン)

気持ちの休まらない連休

今年のお盆休みは、上手く祝日と合わせて5、6連休だった人が多いと思います。
さあ、今日から5連休だ。
でも、昨日まで取り組んでいた仕事が心のどこかに引っかかっています。
なぜなら、連休が明けたらすぐに取り組まなければならないことだからです。
休み前は、「また、連休明けに考えれば良いさ」なんて割と安易に考えています。
頭の痛い顧客対応も、緊張感満載の上司への報告も、全て休みが終わった後のこと。まずは、目の前の休みのことを考えよう。
しかし、そんなテンションが一番高いのは休み前日の夜のことで、いざ休みが始まると心のどこかに、休み明けの仕事が影を落とす。
いや、まだ3日ある、4日あると打ち消してみても、朝起きる度に近づく出社日に気が沈む。そして、連休最終日となれば、休み明けの面倒ごとが一気に現実となって押し寄せてきます。
本当に休みと言えど気が休まりません。
私も、どんな過ごし方をしたら一番気持ちを楽にして休みを取れるか、そればかり考えていた時期がありました。

不安だらけの人生

ならば全て仕事も終わり、退職して悠々自適で過ごせれば、楽になれるのではないでしょうか。
はやく来い来い65歳なんて、心密かに願います。しかし、高校、大学の頃、今と違ってそんなにストレスにさらされていない時代は、果たして何の不安も無かったのでしょうか。
考えてみれば、その時はその時なりに不安感に苛まれていた気がします。たとえば、高校時代なら大学入試や、あるいは少しずつ目を開き始めた社会の不条理に心をかき乱されていました。大学時代も、大学入試自体からは解放されましたが、今度は社会に出てやっていけるだろうかと不安を感じていました。
ましてや、退職後は日々衰える身体の不安や、いつ現れるかわからない病気の不安、そして迫り来る死の不安で、もっと気の休まらない日々が待っているのではないかと思います。

猟師の教え

つまり、人間とは根本的に不安な存在です。
どんな環境で、どんなに不安要素を排除しても、心の奥底にこびりついた気味の悪い不安感は払拭し切れません。
そして私たちには、この根源的な不安の原因を知ることはできないのです。しかし、原因の分からない不安を抱えることは耐えられないので、一番手近な苦しみ悩みを持って来て、その不安感の理由として後付けするのです。
その証拠に、目の前のトラブルが片付いてヤレヤレ、これで一安心と思っても、今度は会社での人間関係の苦しみが頭をもたげます。
それが配置転換で解消しても、今度は生活の不安、家族のもめごと、挙句は病気の心配と、これではキリがありません。そして、私たちはキリもキワもなく苦しみと不安に苛まれているのです。
だからこそ、私たちはその根源的なものから目を逸らしてはならないのでしょうね。
たとえば、猟師に伝わる話にこんなものがあります。
猟師の息子が父親に連れられて初めて山に入るとき、どんな大きなイノシシがでるか不安で堪らないと言います。そんな時、父親の猟師は息子にこう声をかけます。
「山より大きなイノシシは出ないから。」
確かに、山より大きなイノシシはいるはずがありません。しかし、一番最悪を想定してしまえば、後は大したことがないように思えるものです。
かくして、猟師の息子は気を落ち着けて山に入ったと言います。

一番怖いものを知る

この話は、私たちにも深い示唆を与えています。
まず、不安の根源とは、本来私たちが向き合いきれないほど怖いものであり、また一番怖い存在です。
一番怖いもの、つまり、山ほどの大きなイノシシを知り、それに向き合った人は、猟師の息子のように人生のいろいろな苦しみの意味が変わるでしょう。
では、一番怖いものとは何でしょうか?
「それは、会社の鬼上司だよ。」
なら、そんな会社は辞めたらどうですか?
「できるわけないよ。そしたら、生活費が稼げなくなるじゃないか。」
生活費が稼げなくなったらどうなりますか?
「それは、生きていけなくなるから、つまり死ぬんだよね。」
と言うことは、鬼上司が一番怖いのではなく、死ぬことが一番怖いのではないですか。
つまり、私たちの不安の根源は、我々がやがて死にゆく存在だと言うことです。
昔ノストラダムスの大預言が喧しかった頃、当時のノストラダムスブームの火付け役が自書に書いていました。
「やがて来る人類滅亡を知りながら、私たちは不安の中で勉強をし、仕事をし、子育てをする。」
しかし、ノストラダムスの大預言がもはや妄言と葬り去られても、この人間の本質は1ミリも変わっていません。遅かれ早かれ人生の終幕に向かう中で、日々の営みを行っている存在が私たちです。
トルストイがこの事実に気がついた時、彼は「それまでの名声も財産も一切が光を失った」と嘆いています。
しかし、トルストイの人生の本番はそれからでした。だだ盲目的に生きることに集中していた人生から、終幕に向かって日々削られていく命を輝かせる人生への転換でした。
休み明けの気の重い対応に心を縛られてつまらない過ごし方をする連休より、日々削られてゆくかけがえのない命に向き合い、それを輝かせることができる時間にしたいと思います。1日1日が決して取り戻せないのですから。