今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

教室は悪ガキだらけ

(写真:白い朝)

新任教師の憂鬱

新任教師が暗い顔をしています。
どうやら、今回担当した教室が上手くいっていないようです。
相手は所詮子供とタカを括っていたら大間違い、集団になると子供だからこそ手に負えないのです。
自由気ままに走り出す子供、大きな声でしゃべり続ける子供。隣の女の子の髪の毛を引っ張って泣かせたり、一塊になって好き勝手なことをして遊んでいる。
自分も経験がありますが、自分はきちんとしようと思っても、周りが賑やかだと知らないうちに一緒になって騒いでしまいます。
つまり、騒ぎ回る、いわゆる問題行動は伝播するのです。
あげくに、クラス全員が右へ左へと走り回り、授業が崩壊してしまいます。
私も子供の頃、こんな教室を経験しました。そして、大人しくて人の良い女の先生でしたが、私たちのせいで心を病んでしまった悲しい思い出があります。
ましてや、新任教師でいきなりこんな状態になったら相当辛いでしょうね。

悪ガキ=想定外

故に、教師を生涯の仕事と定め、何十年も勤めるのは、生半可な気持ちでは無理でしょう。
先生も強くならなくてはなりません。私は子供の頃、どうして優しい先生に中々会えないのだろうと不思議でしたが、そう考えたら合点が行きます。
可愛い、素直な子供たちと学びたいと、夢を描いて就く仕事ですが、実態は悪ガキだらけ。子供と言えど、隙を見せたら舐められる。その現実に早く気がつき、それを受け入れて初めて前に進めるのでしょうね。
また、相手は子供ではなくても、私たちは複数の人とチームを組むことがあります。そして、そのまとめ役に抜擢され、皆んなに助けて貰って仕事を進める立場になります。
相手は子供と違うのだから、分別を持ってこちらをサポートしてくれるだろうと期待しますが、実態はなかなか望み通りいかないようです。
まず、意見が出ない、士気が上がらない。
再三お願いするうちに、だんだん皆んなの本音が見えて来ます。
反感を抱えている人もある。
そもそも無関心。
自分が頭を取りたかったと非協力的な人。
自分の今までの枠に固執する人。
思いも寄らぬ想定外の連続に、ここも悪ガキの集団であったかと暗澹たる気持ちになります。

想定外と想定する

優秀だから教師になるのでもなく、尊敬されるから教師なのでもありません。
自分はここの教師だ、自分はこの子達に何としても向き合う、そう腹を括った人が教師です。
皆んな素直で可愛い、そう外見に騙されて、密室に集団で押し込められた時のパワーを見損なっていたらたいへん。
ある程度経験で想定の範囲は広くなるものの、結局経験が教えるのは、想定は想定でしかないと言うことと、どこまで行っても想定外は起きると言うことです。
そして、どんな想定外が来ても対応してみせる、そう腹を括るからこそ教師になれます。

準備と臨機

もちろん「それ位ちゃんと想定しておかんか!」と叱責されることもあります。確かに、経験者からすれば、準備も想定もお粗末で、それで予想に違わず失敗をされたら許せないでしょうね。
そして、自分の想定の甘さを思い知らされ、ヘコむこと一通りではありません。
でも痛い目を見れば、それは良い経験になります。経験を積めば、それだけ想定の範囲は広がるでしょう。
でも、あくまで想定は想定。避けられない想定外に対応できるのは、臨機の力です。
私個人は、正確な想定より、臨機応変の対応が得手だと思っています。逆にキチンと想定しろと言われると、面倒臭くて気が沈みます。
でも殆どの人はキチンと想定が出来、その通り事が進むことに安心感を覚え、喜びを感じます。
しかし、何でも想定、想定と言われ、想定しきれなかったことは厳しく叱責される、そんな世の中はどうも苦手です。
また、想定しきれる範囲でしか物事を進めないと、必然的にいろいろなことに臆病になり、計画も小さくなりがちです。
だからこそ、悪ガキだらけの教室に向き合う教師のように、また、いろんなステークスフォルダーを取りまとめるプロジェクトマネージャーのように、最初から想定外を前提として、いつでも臨機応変に対応できる力を鍛えたいものです。