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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ノーレコード

(写真:南砺の朝陽)

レコードを熱望する

なぜ、今の安倍政権が憲法改正にこだわるのか。
それは安倍総理が、一族の総理経験者である岸信助や佐藤栄作ができなかった憲法改正に、最初に手をつけた総理としての名を残したいからだと言います。
なかなか政治家になるのは簡単ではありません。ましてや地盤から長期に支持され、当選を繰り返すのはたいへんです。
さらに入閣を果たし、日本をこの手で動かすことはすべての政治家の夢です。またその中、総理のポストを手に入れられるのはごくごく限られた人で、余程条件が揃い、人脈と実力に恵まれた人でなければあり得ないでしょう。
そして長期政権を続け、国民の大多数が支持している安倍総理は まさに一族の誉れに違いありません。
ここまででも十分凄いと思いますが、人間の権勢欲はこれに止まりません。ポストとしてはこれ以上上を目指せないので、かわりに、後世にレコードを残したいと言う欲求が燃え上がります。
「この総理はそれまで誰もできなかった憲法改正を実行した」
そう後世の歴史の教科書に書かれたいと思うのでしょうね。

レコードの意味

レコード、すなわち実績。
私の耳にはいろいろな人の実績が耳に入って来ます。
地元大手企業に就職し、その会社の業績を倍に伸ばした知り合い。
長らく地元で政治家を務めた親戚。
優秀な成績で大学院を卒業し、そのまま一流企業の研究職として活躍する従兄弟。
私のように、なんの取り柄のないものからすれば、それらの人生はキラキラ輝いて見えます。その輝きとは、彼らが築いたレコードのきらめきです。
とくに、日本史上もっとも大きなレコードを残した人物と言えば、一も二もなく尾張出身の豊臣秀吉でしょう。
尾張の小作の子せがれが、織田信長の草履取りから始めて、最後日本全土に号令をかける太閤にまで上り詰めたのです。
壮大な大阪城も、金の茶室も、最高の太閤と言う位もすべて彼の輝かしいレコードです。さらに、それに飽き足らず朝鮮まで大挙軍船で攻め寄せて、海外にまで領土を広げようとしました。それも、全て彼のレコードへの飽くなき欲求が現れたものです。
そして、最後空前のレコードを打ち立てた太閤秀吉が自分の人生を総括したものが、
「奢らざるものも久しからず
露と落ち露と消えにし我が身かな
難波のことも夢のまた夢」
でした。

ノーレコード

彼に対する後世の評価とは裏腹に、秀吉自ら彼自身のレコードを「夢のまた夢」と否定しています。
いざ臨終となり、次の世界に旅立つ時には、今生で得た地位も、獲得した支配地域も、蔵に積み上がった金銀財宝も、全て置いて死んで行かなくてはなりません。従者一人、寵愛した姫一人、小粒の金一つ持ってはいけません。
まさに、金銀財宝を目の前にして喜んでいたら、パッと目が覚めて、全て夢であったかと歯噛みするようなものです。
ましてや、一生を捧げて築き上げたレコードが虚しく霧散してしまったら、どれだけ無念でしょうか。
これはガンに倒れ、生命維持装置に繋がれたスティーブ・ジョブズの最後の言葉にも通じます。
曰く、
「稼いだお金も、得た名誉も全てはレコードに過ぎない」
つまり、生きていくのに最低限のお金を手に入れたら、それ以上レコードを求めることに人生を費やしてはならないと言い残しています。
私はノーレコードの人間です。
最低限生きていくものしか持たず、稼がず、身につけずの人間です。
レコードに憧れはしますが、果たしてそのレコードを求めることに人生を捧げるべきか、先人達の言葉に悩んでしまいます。

本当の人生の価値

頓知で有名な一休和尚は、人間を「タライからタライへの50年」と言いました。
50年は、一休和尚当時の人生の長さです。
人間は丸裸で生を受け、タライで産湯に浸かります。そして、50年間いろいろなものを求め、いわゆるレコードを積み重ねます。
やがて命尽きたら、それら身につけた一切のレコードを剥ぎ取られ、身一つに死装束一枚着せられてタライ(棺桶)に放り込まれます。
まさに私たちのレコードの有り様を表して、非常に示唆に富んでいます。
ならば私たちの人生にとって、本当に価値のあるものは何でしょうか。
ひたすら、一点目指してレコードを伸ばすことでしょうか。
確かに、多くの人が立派なレコードを持つ人間を褒め讃えます。だから私たちにとって、レコードはとても価値のあることに思えます。
例えば、ソフトバンクの孫社長が「100年後世界一の企業になる」と宣言し、またその通り実現されるなら、孫社長の名前は物凄いレコードを残した人物として後世に刻まれるでしょう。
しかしその孫社長にして、いざ後生に旅立つ時は、積み上げたレコードの一切を置いて一人去っていくのです。
周りに与える影響や貢献は確かに大きくても、自身に得るものは全くありません。
だからこそ、秀吉の辞世があり、ジョブズの嘆きがあり、一休の警鐘があります。
私はノーレコード。
でも、レコードを積み上げることに使う力や時間を、本当に価値のあることに使えたら、レコードの有る無しに関わらず幸せです。
それは何か。
この人生の深くて大きな課題に、また今日も取り組んでいます。