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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

アイアム アウトプット系

(写真:テールライト その1)

■仕事=アウトプット

仕事って、何でしょう。
言いかえれば、何が給料の元になっているのでしょうか。
営業職なら、見積と販売した時の売上がそれに当たります。技術職ならば設計書と実際の製品、企画職ならば企画書、そして企画が承認されてプロジェクトが動き出すことです。
学者さんなら、ひたすら研究をして知識を溜め込むことが仕事であり、またそこから論文を発表するのも大切な務めです。
このように私たちの仕事は、必ず最後目に見える形で完結します。そして、プロセスの途中途中で、情報共有の為であったり、提案の為であったり、同じく目に見える形を生み出して行きます。
つまり、私たちの仕事=アウトプットなのです。

■言葉で生きる、手で生きる

私たちのアウトプットには、形に残るものと残らないものがあります。
そして、世の中には形に残らないアウトプットで生活している人もいます。
例えば営業職には、トークだけで商談を進める人がいます。もちろん、それに付随してカタログが必要ですし、また契約が成立したら契約書を作成しなければなりません。
しかし、カタログは会社が用意し、契約書は一緒に同行した部下が作成します。そんな人なら、形に残らない言葉やパフォーマンスだけで生きていると言えるでしょう。
あるいは会社の役職者なら、部下の提出したアウトプットをチェックしてダメ出しをしたり、方向付けをするのが仕事です。
これらの人は、文書や成果物のような形に残るアウトプットを作成する機会は有っても、かなり限られるのではないかと思います。
対して、技術者や実際の製造の現場、事務職や職人さんは、言葉やパフォーマンスよりも、黙々と手を動かす方が主になります。
そして手を動かして、実際に形になるものをアウトプットすることが仕事なのです。

■形に残るアウトプットが好き

形にならないアウトプットと、形に残るアウトプット。
前段に書いた通り、形にならないアウトプットは、主に上位職の人が生み出します。
そして現場に近くなるほど、アウトプットは形に残るものになります。
もちろん、現場には運搬作業のように労務を提供している人もいますから、その人のアウトプットは形に残るのか?と聞かれるかも知れません。しかし、その人が働けば、確実に出荷される荷物の山が出来るとか、荷物が移動するとか、労働の成果は目に見える形で現れます。だから形に残る期間は一時的でも、形としてアウトプットしたと言えるでしょう。
その中、私は年齢やキャリアで形にならないアウトプットを多く求められます。しかし、本当はより形に残るアウトプットを作ることに充実感を感じます。
それは、ものに対する共感力が人一倍強いため、自分が手ずから生み出したものに対する思いは深く、人の作ったものに対する思いは深く持てないからです。

■得手と役割

ひょっとしたら、私は自分の得手を発信するのに臆病なだけなのかも知れません。
それは、年齢的に実制作は後輩に譲らなければならないとか、もっと指導的な力を発揮しなければならないとか思ってきたからです。
しかし、何十年経っても得手が変わることはありません。やはり、私は形に残るアウトプットを自分の手で作ることに喜びを感じます。
人が期待してくれたら応えずにおれない。八方美人と言われたらそれまでだけれど、『何時までに、これだけのものを、これだけの精度で』と言われたら、多少無理があっても自分でやり切る自信があれば喜んで受けてしまいます。
もちろん、人に責任が発生する場合は、そのような安請け合いは禁物ですが、基本頼まれたらノーと言えない、それが私です。
そんな自分の本性が出ないように必死に抑えながら、人の期待に応えきれない自分にストレスを感じている。そして、時に安請け合いの癖がポロッと出て散々周りから怒られる。
でも、やはり社会人である時間も限られているので、自分の得手や特性をもっと活かせても良いかも知れません。
しかし、年齢的にいい加減なことは許されないので、暴走は誰かに止めて貰わなくてはならないのです。
まるで、漫画家と編集の関係です。
編集者は、漫画家が自由に発想して創作できるよう見守り、またおかしなことにならないよう、締めるべきところはきちんと手綱を締めます。
私も、自分の特性を活かして安心してアウトプットできるよう、やはり手綱を締めてくれる人が必要です。
どんどん、アウトプットして形に残したい。だから、私はアウトプット系です。そんな自分をうまく導いてくれる編集者にいつか出会えると良いですね。