今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

平準化 〜特別になりたい自分と、特別になって欲しくない会社〜

(写真:墨絵)

■特別になりたい自分

子供の頃から「自分って何だろう?」と考えていました。
毎日目にする多くの大人たちや子供たち、自分もそんな人たちの一人なのだろうか。
実際そうに間違いないのですが、だとしたら、生きて死んでいくだけの存在ではないか、それでは切なすぎる・・・そんな思いがあったのかも知れません。
自分の人生、自分が主人公なので、やはり自分は特別な存在でありたい。
そう思って、何とか人に優れるところはないかと意識してきました。
しかし、実態は知恵もほどほど、運動もからきし、精神力も人並み以下のまるでダメ男君だった訳で、コンプレックスの塊の10代でした。

■頭一つ抜けたい、目立ちたい

しかし社会人になって、コンピューターと言う仕事が性に合っていたのか、多少は人から評価されるようになりました。
そもそも、当時はオフィス向けパソコンの黎明期で、間違えて何処か押すと、すぐMS-DOSの画面に戻っていました。そして、そこから復旧するには機械を再起動するか、専門的なコマンドを入力する必要があったのです。このようにパソコンのプロが少ない時代だったので、さほどスキルが高くなくてもパソコンを自由に使いこなしているだけで一目置かれたものです。
また、当時主業務であったコンピュータープログラミングには創造の面白さがあり、画期的なアイディアが生まれると周りも評価してくれて、20代、30代とのめり込みました。
しかし、自分一人で高いパフォーマンスを上げれば良かったところ、30を過ぎた頃からチームを意識して仕事をしなければならなくなりました。
そうすると、自己顕示欲を満たすようにプログラムを作っていく姿勢が、周りから乖離し始めたのです。

■パフォーマンスの平準化

「お前の考えることは難しい。」
「細かいところまで考え抜いていないから、矛盾だらけだ。」
そうチームから叩かれます。
「いや、自分はこの程度なんとかしてきたじゃないか。」
そう反論すれば、
「皆んな自分と同じにできると思うのが、そもそもの勘違いだ。」と言い返されます。
確かに、会社は多くの人間が働くところです。一人が思うままに行動して高いパフォーマンスを発揮しても、それで周りが混乱したら、皆んなのパフォーマンスが下がってしまいます。結果マイナスにしかならないでしょう。
だから、会社では共同作業しやすいようにパフォーマンスの平準化が求められます。
お客さんが喜ぶからとか、今まで事例のない技術だからとか、自分だけの都合で突っ走ってしまうと、他のメンバーがお客さんと対した時に、「あの人はやってくれたのに」と突っ込まれて迷惑します。
そして、会社の看板を掲げている以上、彼なら高いパフォーマンスを実現でき、他の人は難しいという言い方は通りません。
外に出すと決めた以上は、誰が実行しても同じ結果になるように手順の平準化が必要なのです。そうでなければ、企業としての責任が果たせません。

■折り合いを学ぶ

もちろん、平準化は諸刃の剣です。
会社の全員が同じパフォーマンスを発揮できる反面、会社自体のスキルが平均化します。
つまり、人の心を惹きつける尖った部分が削られて、すっかり丸くなってしまった会社は、傍目から見ても面白味がなく平均的な会社なのです。
安心感はある程度、ブランドや間口の広さで担保できても、平均的な会社からはわくわくは伝わりません。
お客さんの立場からすれば、たまたま当たった担当者が新しいことをドンドン提案し、また実現をしてくれたら、それこそとても嬉しいことでしょう。でも反面、新しいことに手を出して、それが元で利益を穴を開けたり、あれこれやり散らして収拾がつかなくなったりと、必ずしも会社にとっては有難くないかも知れません。
この折り合いが難しいですね。
会社である以上は利益を守らなくてはならないので、どうしても平均的、そして安全な道を行きます。
しかし、私たちは人にはできないことをするのがモチベーションであり、生き甲斐です。そして、頭一つ抜けるのがやり甲斐ですし、お客さんもそれを期待しています。
故に、会社の和を乱さず、自分の特別感を出す。それが、会社員としての大切なスキルだと思います。