今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

夕方の匂い 〜夕陽の街の郷愁〜

(写真:火の見櫓)

■午後五時の郷愁

午後5時、日の翳り始めた街を通る時、不思議な郷愁に襲われます。
この気持ちは何処から起きるのでしょうか。
赤みを帯びた陽の光のせいでしょうか。あるいは、家路を急ぐ学生たちの姿のせいでしょうか。並んで歩く小学生たちの下校姿を目にするからでしょうか。
あるいはスーパーのタイムセールの看板が、そんな気持ちにさせるのでしょうか。
今日一日あったことをおさらいしているラジオのニュース番組がそう感じさせるのかも知れません。

■家へ帰れば

午後5時台、それは皆んなが家路を辿る時間です。
高校生までは、部活動を終えて家に帰る時間が5時でした。
外ではいろいろとあっても、家に帰れば家族が居ます。口煩いこともありますが、基本自分を気遣い守ってくれる人たち。
そして、夕食には家族でテーブルを囲む暖かい団欒がありました。
家は帰りたい場所、居たい場所、そして、皆んなで食卓を囲んで一緒に食べる場所です。
何気ない、たわいのない会話が嬉しく、懐かしく思い出されます。
その中にいる時は、もったいのないことにそれが当たり前でした。
失って初めて懐かしく、また取り戻したく思いますが、今となってはもう叶いません。

■夕方の匂い

そんな夕方の郷愁は、懐かしい食卓の思い出と結びついているかも知れません。
だから、夕方の匂いは夕食の準備の匂いです。
玉ねぎを炒める匂い、立ち込める醤油の匂い、そして、香ばしいカレーの匂い。
路地を通る時、台所の窓から漏れてくる香ばしい香りに、過ぎ去りし日の懐かしい台所が思い出されます。
思わず、ああ、家に帰りたいな、と言う気持ちに誘われます。

■団欒のある社会

そして、夕方の匂いは、団欒の匂いです。
夕陽の光は、家庭の温かさを想起させます。
昔、我が家は7人家族だったので、三世代が賑やかな食卓を囲む生活をしばらく続けていました。
しかし、自分が高校生となり、大学生となると生活が変わり、いつの間にやらその団欒から遠ざかるようになりました。
しかし、あの幸せな時間は決して粗末にしてはならなかったと、今さらに思えます。
そう、私の周りだけでなく、家庭の団欒は少しずつ死語になりかけています。
団欒は、ライフスタイルの変化や、仕事や勉強のため犠牲にならざるを得ないのでしょうか。
しかし家庭にあって、もっとも幸せを感じるのは団欒の時間です。もしそれを犠牲に何かを手に入れても、本末転倒の気がします。
団欒で気遣い合い、心を通わせ合い、あるいは社会の悪風にたおられないように守り合う、そんな場所です。
まさに、その家庭の団欒を取り戻すような社会作りもあって良いと思うのです。