今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

何に身を包むか 〜人間は弱く、不安な生き物だから何かで身を守りたい〜

(写真:翁の木)

■ベンツに乗る人

ベンツに乗る人。
ひと昔前は、ベンツに乗っているのは怖い人だから、近寄らないようにしようと思っていたものです。しかし、最近は小型車もあり、少し安めのタイプもありで、街でも割と見慣れた存在になりました。
とは言え、新車は1千万、2千万、3千万と家が建つんじゃないかと思えるくらいの価格です。
日本車なら何台買えるんでしょうね。
「一台良い車を買って、それで20年乗るのがドイツ流だよ」と聞いたことがありますが、日本車でも普通に10年以上持ちますし、200万の車を3回買い換えても600万です。
ベンツは、燃費も日本車には及びませんし、どんなに走行性能がよくても、日本にドイツのアウトバーンは無いので、そんな飛び抜けた走りは必要ありません。

■ベンツを買って手に入れるもの

ベンツを買って手に入れるもの。
それはやはり、ベンツを購入して、さらにそれを維持できていると言うステータスでしょうか。
確かに、会社の役員クラスや、成功した弁護士、会計士のような士業者、あるいは資産家や芸能人は、お金の使い道として高級車を選びます。
それに、事業をしている人ならば、社用車として購入すれば税金対策にもなります。
そして、颯爽とベンツに乗って登場します。
そうすると、それだけで庶民の私たちは、この人は自分たちとは違う、特別な人なんだと畏敬の念を抱きます。
もし、それが士業者や、コンサルタントだったら、ベンツに乗っていることで、言うこと一つ一つがもっともらしく聞こえます。そう考えれば、ベンツも大切な商売道具の一つなのかも知れません。

■人間は弱く、ゆえに不安である

かつて、パスカルは「人間は考える葦である」と言いました。
葦とは湿原に生えている、茎が細くて長い植物です。葦は、非常に手折られやすい草で、強い風が吹いたらたちまち茎の途中から折れてしまいます。そのため、群生してお互いを護っているのです。
パスカルによれば、それは人間も同じだと言います。人間は裸で生まれてきます。
そして、長じても長い四肢以外に身を守る武器を持ちません。歯や爪は持っていても、歯は咀嚼用であり、爪も今はかつての名残として生えているだけです。
もし、そんな人間の集団に殺戮目的で一匹でも熊や虎のような猛獣が踊りこんだら、その被害はとても想定できません。
また、身を守る厚い毛皮を持たないので、吹き付ける極寒の吹雪には凍死し、照りつける夏の暑さにはうだってしまうでしょう。
だから、人間は葦のように弱く、故に不安な存在です。しかし弱い葦ですが考えることができます。
そして、知恵で武器を手にし、服をまとって身を守るのです。そうして、ついには地球上最強の生き物になりました。

■何に身を包むか

人間は、弱くて不安なるが故に身を包む。
そのように、私たちはいろいろなものに身を包みます。
服に身を包んで、冬の寒さや、夏の日差しから身を守ります。
家や建物に身を包んで、外敵から安全な所に身体を置きます。
あるいは、ベンツに身を包んで、優越感に浸り、周りから畏敬の念を得ようとします。
人間は、身を守るものを持って生まれて来なかったので、何かに身を包んで安心しようとするのです。
時に、それは目に見えるものであり、あるいは目に見えないものです。
目に見えないもの、地位や名誉、立場やステータス、つまるところは優越感。
あるいは、承認や期待、賞賛など、それは私たちに存在の意味を与え、安心をさせてくれます。
これら全て、私が身を包んでいるものです。
しかし、身を包んで一時安心できても、仮初めに身にまとったものは何れ離れて行きます。そんな時、また裸に戻り不安に震えて泣くのでしょう。
ならば、本当に私たちが身を包むべきものは何でしょうか。
それは、身一つになっても変わらないもの。つまり、決して消えない心の明かりなのです。そして、それは自分の身の周りでなく、私たちの心を包むべきものだと思います。