今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

言い分 VS 言い分 〜善人だらけの世界〜

(写真:暮れなずむ街 その2)

■言い分は、いつも一理ある

「ホント、失礼しちゃう!」
「そうよ、そうよ!」
対して、
「そっちこそ、身勝手じゃないか。」
激しく応酬している二つのグループ。
それぞれ言い分を巡って意見がぶつかっているようです。
「まあ、君たち待って。どうしたの?」
それで女子たち、
「ちょっと聞いてくださいよ。◯◯さんったら、私たちのこと、馬鹿にするんですよ。私がスポーツジムに通ったり、◯子がエステに通うのなんか、皆んな無駄だから止めてしまえって言うんです。」
「へえ、そりゃひどいね。」
対して、男子、
「ちょっと待って下さい。悪いのは彼女たちです。任された仕事を放り出して帰ろうとするからです。」
「そうなの?」
「え〜、仕事は明日までって言ったじゃないですか。明日中にやれば問題ないでしょ?」
「明日までは、明日の朝までなんだよ。そんなこと小学生でも分かるだろ?」
「何さ、常識知らずはそっちよ!」
こりゃ、ややこしくなりそうです。
お互いの言い分がぶつかる時、実はどっちにも一理あります。
言い分を主張するもの同士、自分が正しいと信じているから、どこまでも角突き合わせるのです。

■誰かが折れなくては始まらない

そんな時、事を収拾するには、どちらかが「スマなかった」と折れなくてはなりません。そうして初めて、相手も納得して角を収めることができます。
もしかしたら、相手は「ほおら、言ったじゃ通りじゃない」と勝ちどきを上げて、こちらを見下すかも知れません。そして自分は負けを認めたことが悔しくて涙が出るかも知れません。
しかし、「花を持つ人から譲る山路かな」と言うではありませんか。
人がやっと一人通ることができる狭い山道で、手に花を持つ人と、そうでない人が行き違おうとしたら、先に道を譲るのは言わずと知れた花を持った人です。
なぜなら、無理に行き違おうとして押しあって花を散らしたら残念です。それに、我を張って睨みあっているうちに花がしおれるかも知れません。
ですから、花を持つ人から、どうぞと道を譲るのです。
それは、言い分がぶつかった時でも同じです。
「自分には、こんな言い分を通すことに使っている時間はない。もっと他にやらなければならないことがあるのだ。」
そんな気持ちを持った人は、自ら頭を下げて言い分の衝突を回避しようとします。
側から見ていて、どちらがより大人で立派でしょう。そして、高い視点で物事を見ている人でしょうか。

■善人だらけの世界観

なぜ、頭が下がらないか、そして負けが認められないか。それは、自分は悪くないと信じているからです。
悪くない人間は頭を下げる必要はない。頭を下げるのは、自分が悪人だと認めることだ。そして、悪人にはなりたくない。
私たちは、口に出して言わないまでも、密かに自分のことを善人だと自惚れています。
その証拠に、「自分はとてもとても善人なんて言える人間じゃない」と謙遜したフリをしても、いざネットで「悪人」「いなくなって欲しい」と書かれると死にそうになります。
あるいは、面と向かってそんなことを言われたら生かしておけない気持ちになるでしょう。
それだけ、私たちは自分が善人たらんとすることに命をかけています。
でも、常識もマナーも、ルールも知らない奴らが街には溢れ返っているじゃないか、そんな奴らがどのツラ下げて善人か?と言われるかも知れませんね。
しかし、彼らには、彼らになりの言い分があります。「別に警察に捕まっているわけでなし、刑務所に入っている連中に比べればずっとマシ」と言います。
そう、街にも、オフィスにも、家庭にも自称善人が溢れています。

■敢えて善人を疑う

しかし、本当に私たちは善人でしょうか。
善人の気になっているだけではないでしょうか。
前段の寸劇なら、女子二人は善人でしょうか。対する男性は善人でしょうか。
本人たちはそう思っているかも知れません。
しかし、相手からすれば身勝手な悪人です。
女子二人は、男性の「明日まで」を逆手に取って、困っていると分かっていても、彼を放り出そうとしています。側から見たら、あまり褒められたことはしていないですね。
しかし、男性も自分の言葉足らずが原因なので、素直に謝って許しを乞えば良いところ、女性に対して失礼なことを言うのは、やはり問題有りです。
そう、相手とモメた時、静かに胸に手を置いて反省してみます。
全く自分に非がないと言うことがあるでしょうか。
そして、非があると悟れば、素直に言い分を引っ込めて頭を下げます。それで、どれだけ多くの気持ちや時間が助かるか分かりません。また、相手にも自己を顧みさせる縁となります。
多少きれいごとが入っているとは思いますが、本当に相手が悪人ならそこは堂々としていたら良いのです。しかし、自分に引け目を感じたままでは、その勇気が出ないではありませんか。