今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

影があってこそ、光が際立つ 〜何故、完全無欠が振り向かれないか〜

(写真:高岡の夜明け その1)

■影の効用

「外晴れてきた?」
そう問われて、窓から外を覗いてみます。
「うん、日が射してきたよ。」
そう答えるとき、私たちは何を見て判断をするでしょうか。
雲ひとつない青空か、あるいは窓に射し込む日の光か?
それより分かりやすいのは、外の建物や樹木の影の濃さではないでしょうか。
日が射していても、雲間から薄日が射すくらいなら影は薄くなり、直接強い光が射せば黒々と濃い影を作ります。
写真や映像でも、映り込んだ影を見て、この時は晴れていたか曇っていたか判断しています。

■光だけでは興味は向かない

このように、影には光の存在を強くアピールする効果があります。
影は光を際立たせる、これはいろいろなところで有効に使われます。
例えば、ドラマや映画のヒロインを際立たせたかったら、敢えて影の部分を描きこみます。
暗い過去もない、生まれもお嬢様で、品行方正、皆んなの人気もので身体にハンデもない。そんなヒロインが出てきても、正直感情移入はし辛いと思います。
以前、酒井法子氏主演でドラマ化された「星の金貨」の主人公は、視覚と聴覚に障害をもっていました。当時の酒井法子が手話や表情で必死に意思を伝えようとしている姿に、思わずドラマに引き込まれた男性も多かったのではないでしょうか。
もし、ヒロインにハンデと言う影の部分がなかったら、健気で可愛い、普通の良い子だったでしょう。それに、影を書き加えることで、主人公の健気さが一層際立ち、その後の展開が気になるのです。
それは光だけでは向かない興味を、うまく影の部分で向けさせた好例ではないでしょうか。

■影を伝える

最近のドラマヒロインの描き方も、影をうまく使っています。
主演は誰もが認める美人女優なので、立ち姿は普通に様になります。しかし、その美人が、実はとんでもない性格破綻者だったり、人が恐れる毒舌家だったり、あるいは極貧でどケチだったりと、外見から想像もつかない裏を持っています。そうすると私たちは却って、この人何をしてくれるんだろうかと興味が増すのです。
ブルース・ウィリス主演のダイハードのマクレーン警部も、腕は立つが人間関係が苦手で、奥さんからも愛想を尽かされている性格破綻者に描かれています。
言わば、ダメ男です。しかし、そのダメ男が、一朝事が起きれば、どんなヒーローよりも果敢に敵に立ち向かうので、そのギャップが実に小気味良いのです。もし、これがジェームス・ボンドのような完璧な男性ならば、ダイハードの魅力は全く別なものになったでしょうね。
これは、私たちのビジネスでも使い方を間違えなければ有効です。
私たちの会社の創業社長は、この点非常にうまかったと思います。
曰く、
「私どものソフトは、取立てて凄いところは全くありません。でも、使いやすさだけは、どこにも負けません。」
ここまで、言い切られると逆に興味が湧きませんか?

■影があるから、光がある

そこまで言うんだったら、一度触ってやろうか、と言う気持ちになります。
普通、ソフトウェアなら、「業務の効率化を強力にサポート」とか、「御社の業務に死角なし、オールインワンのトータルソフト」とか、それこそ「どんだけ?」って思えるほど言葉を尽くしてアピールします。
なにしろ「死角なし」ですから、できないことはない訳です。
しかし、現実にそんなことは有り得ません。
なぜなら、お客さんの数だけやり方があり、やり方の数だけ業務があるからです。
どこでも使えるとしたら、それはどこにでもそこそこ合うと言うことでしょう。つまり、敢えて高機能を追求せず、使えるところだけ使ってくださいと言う立ち位置になります。
だから、私たちは高機能や凄さをアピールせず、基本機能の手馴染みが良いことだけを強調しているのです。
そして、高機能や複雑な業務に対応できる利点を捨てるから、使いやすさのアピールポイントがより際立ちます。
光があれば影もある。光が射せば、必ず物体に影は生じます。
その時、影を隠したり、ごまかしたりせずに堂々とアピールすれば、光の部分がよりクッキリと際立ちます。
また、いつ影を見せても恥ずかしくないように、光の部分を研鑽し、影も公明正大に映るように心がけたいと思います。