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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

血を流す奴、流さない奴 〜真剣に仕事をする人間〜

(写真:白川PAにて)

■時間をかけても成果が上がらない理由

「いつまで時間をかけるつもりか!」
時間をかけているのに、いつまでも成果を上げることができないと、厳しく叱責されます。
そこで初めて、すっかり作業に取り込まれていた自分と向き合うことになります。
与えられた命題をただこなすだけで満足していました。そして、何のためにそれをするのかが見失われていたのです。
ハッと気がついてみれば、大量に意味のないことをしていたと恥ずかしくなります。
しかし、作業に身を浸すことは心地よいことです。同じことさえしていれば、今日も明日も、明後日も同じように過ぎてゆく、そう自分を騙すことができます。
それでついつい無難に作業を続ける方向を模索し、そこにはまり込んでしまいます。
そして、作業のゴールは敢えて不明瞭にする。そうすれば、今血を流さなくても、なんとなくやっていると言う安心感があるからです。

■血を流す

ゴールを決める。ゴールを強く意識する。
そうすると、今時間がほとんど残されていないことがハッキリします。
「この時までに、これだけの結果を出します」とハッキリコミットすると、一気にゴールからの逆算が始まります。
いつまでにここまで行なって、だからその前にはここまではやらなくてはならない。
今まで余裕があると思っていたことが、急にタイトに感じられて、とても落ち着いて座ってなどいられなくなります。少しの時間でもあれば、何か進めることはできないかと頭も心もせわしなく動きます。
そして、次々に現れる壁に対し、どうそれを越えようか、真剣に取り組まずにおれません。
そうです。必然的に最前線に身を置くから、頻繁に銃弾を受けることになります。そして、そのたびに血が流れます。
血を流すとは、苦手だからとか、シンドイからとか言っておれず、体を張って問題解決に当たることです。

■血を流すから信頼される

自分は口下手だから、こんな仕事はダメなんだ。自分は考えるのは苦手だから、とにかく言われた通りする仕事が良い。
あるいは、もう年齢的に身体に堪える仕事は無理だから、できるだけ働かないようにしよう。
そんな気持ちは常にあります。
しかし、いざ事が目の前に迫ったら、とてもそんなことは言っていられません。
口下手だろうが、どんなに「お前の言っていることは分からん」と首を横に振られようが、とにかく自分の意思を伝えなければ先には進めません。
考えるのが苦手だろうが、他に誰も考えてくれなければ、どんなに稚拙で笑われても腹を括ってやるしかありません。
目の前にやらなければならない事があって、しかもそれに大量の時間がかかると分かれば、50過ぎようが、60に近くなろうが徹夜してでもなんとかしようとするでしょう。
それが、血を流している姿です。
正直、スマートでもなければ、有能そうにも見えません。
しかし、血を流さなくては進まないことがあり、血を流さなくては伝わらないことがあり、血を流さなくては信頼を得ることは叶いません。

■血を流す奴、流さない奴

仕事に真剣になれば、どうしても血が流れます。
もちろん、血を流さずに済む方法もあります。スマートに仕事をする人ならば、なるべく血を流さなくて良いように調整できるでしょう。
タイトにならないように、十分な時間を見積もっておく。得手の良い仕事に集中できるよう、不得手な仕事を任せられるメンバーを予めアサインしておく。あるいは、予定外の仕事をしなくて良いように、自分の仕事の範囲をキッチリと線引きをしておく。
できれば、このようにスマートに仕事をしたいものです。また、会社からもそうするように指導されます。
しかし、それはあくまで何度も経験して、手慣れた仕事でのみ言えることです。
慣れない仕事は、正確な時間の見積はおろか、得手な部分を探そうにも、やってみなければ分からないのが本当のところでしょう。
その時に、失敗しないように、シンドイ思いをしないように、キッチリ線を引こうと思うと、制約だらけになって一歩踏み込んで取り組むことは覚束ないのです。
だから、真似だけのスマートな仕事をして、血を流すことを厭えば何も進むことはありません。
新しい道を開くには、スマートでなくても、泥臭くても、安逸に流されず、痛みを恐れず血を流す覚悟を持たねばならないと肝に銘じます。