今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

第三者力 〜自惚れ世界チャンピオン〜

(写真:和紙の工芸品)

■自分と言う蟻地獄

人間は厄介です。
しかし、一番厄介なのは自分自身です。
はたから見たら、完全に勘違いして、おかしなことになっているのに、自分で気がつくことは至難です。
でも、人からハッキリ指摘されたり、勘違いが元で大失敗したり、とにかく痛い目にあえば、一時的に反省をします。そして、もう二度と勘違いしないぞと、心の中で決意を固めます。
いらない憑き物が落ちたようで、少し身軽になった気がして、こんな自分も悪くないと思います。
しかし、しばらく経つとだんだん自分の都合の悪いことから目を逸らして、都合の良いことばかりを考えるようになります。
そして、自分と合わない人の粗を探し、自分の得手を誇大に肯定をします。
ついには、またとんでもない自惚れの塊が出来上がるのですが、いつもどうしてそうなる前に歯止めがかからないのか不思議です。
思うに、自分とは蟻地獄のようなものです。
最初はちょっとした勘違いから始まります。例えば、少し人から褒められたり、人より上手く出来たり、それがたまたまでも心の中でもの凄く得意がります。
そして、だんだん肥大化していって最後はそこから抜け出せなくなるのです。

■だから、人にアドバイスを求める

そんな自分の自惚れに気がつくためには、とにかく人と話すことが有効です。
人と話をすると分かるのは、自分の中ではかなりいい線いっていると思っていても、皆んなの努力は遥かにそれを超えていることです。そして自信満々に「俺ってさあ」と開きかけた口を閉じることになります。
「ああ、恥かくところだった」
本当に自惚れやすさから言えば、自分は世界チャンピオンだな、とつくづく思います。
あるいは、素直に人にアドバイスを求めるのも大切です。
自分に自分は近すぎるから、見えないことがたくさんあります。しかし、人からはそれが良く見えます。
少し前に流行った「イタイ」と言う揶揄言葉も、自分が見えずに一人で酔っている人をからかったものです。
人の正直な指摘は、ナイフより鋭いので、とても笑っては聞けません。心が血まみれになることもあります。
でも、まずは持ち帰って一晩冷静に考えてみます。すると、確かにもっともな指摘ばかりで、自分の進むべき方向を示してくれます。

■自己否定力

もちろん人から指摘して貰わなくても、自分で自己否定ができれば、それに越したことはありません。もしそれが出来れば、人に笑われる前に、自分で自分を正すことができるからです。
思うに立派な人とは、いつも自分にしっかりと手綱を付けていて、変な方向に走り始める前にブレーキをかけることができる人でしょう。
人間だから当然間違います。しかし、それを小刻みに修正できれば、人に迷惑をかけたり、痛い目に会う前に方向転換ができます。
とは言え、それが出来ないから困るのです。
走り出すのも自分の心だし、それにブレーキをかけるのも自分の心です。どちらも自分の心なので、間違っていても、正しくても、いつも至極ごもっともな顔をしています。
だから、それに騙されるのです。
「こころこそ こころ惑わすこころなれ
こころにこころ こころ許すな」
この古歌は、そんな自分の心との付き合い方の難しさを教えたものです。

■第三者力

自分の心に手綱をつけることが難しいからこそ、私たちには何か強力に自分を縛る武器が必要です。
私が常々欲しいと思っているのは、自分を第三者のように評価できる、「第三者力」です。
私たちは、人に意見をする時ほど冴えていることはありません。自分のことではとても思いつかないことでも、人のことになると臆面もなく口にします。それは、人のことなら、間違っていることや勘違いしているところがよく見えるからです。
ですから、いつも心に他人を同居させて、チクリチクリと軌道修正して貰えたらどんなに良いでしょう。
それができれば苦労はありませんが、やはり、私のようなものは、人からキツイ言葉を貰って正してもらわねばならないようです。
そして、その痛みがいい加減嫌になった時に、自分の中にも第三者を育てようとするかも知れません。
しかし、その第三者も所詮は自分の一部からのメタモルフォーゼです。信頼して任せておいたら、果たして自分自身に取り込まれていないとも限りません。
どこどこまでも厄介なヤツです。