今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

会議の始まりと終わり

(写真:夕陽の牧場 その1)

【会議の始まりと終わり】

■会議が好きな人はいない

「会議をするぞ〜!」
前々からスケジュールを組んであって、開催が分かっていても、あまり会議は好きな時間ではありません。
おそらくこれは皆んな共通しているのでないかと思います。
日本人は会議好きと言われますが、「今週会議はありません」と言われたり、急遽「中止にします」と言われたら、ホッとするのは正直なところです。
なぜならば、今仕掛かりの仕事を中断しなくて済みますし、会議のために準備した資料をまた翌週使い回せます。
それに、会議で叱責されることもないわけじゃない。特に、会社の運営に関するシビアな会議の場合、どうしても内容は厳しくなりますしね。

■会議前の重い気持ち

内容いかんに関わらず、会議の場に喜々として集まる人はそういないと思います。
特に、主催者はそうでしょう。
主催者は、自分で会議の流れを引っ張っていかなくてはなりません。
社員の時間単価を例えば4千円とした場合、10名のメンバーを集め、2時間の会議をしたとします。そうすると、4千円×10名×2時間ですから、8万円の経費がかかることになります。
会社によっては、8万円の稟議が通らずに古いパソコンやプリンターで頑張っている人もあるでしょう。それなのに、毎回8万円の経費を払って会議を開催していると分かれば、それだけ身のある会議になっているの?と突き上げを受けるかも知れません。
主催した会議にメンバーを招集しながら、何もまとまらず、そのままお開きになったらどうしよう。それこそ8万円をドブに捨てることになります。
そこから、会議が始まる前の主催者の気持ちが察せられるではありませんか。

■会議は課題解決の場

しかし、会議とは本来課題解決の場です。
下世話な言葉を使えば、会議が終わった後は、始まる前より、もっとハッピーになっているために行うものです。
抱え込んでニッチもサッチもいかないことがあって、日々どうしようかと悶々と苦しんでいます。当然、本人のパフォーマンスは落ちますし、周りへの影響も少なくはありません。
各自が少なからず抱えるそんな悩みや問題を一度棚卸しをして、上長や仲間に意見を聞く。それで、より早急に解決できる方法があれば、協力できるメンバーに手を上げて貰う。
そうすれば、自分一人で抱え込んできた重荷を取って貰えるので身軽になりますし、その分パフォーマンスも上がるでしょう。
しかし、そのようにいろんな問題を明らかにし、共有する場でありながら、ついつい私たちは自分の悩みや上手く行かないことを隠そう、隠そうとします。
「ハアァ、今抱えている案件、上手くいってないんだよね。でも、突っ込まれなくて良かった」みたいに。
でも、それで終わったら、相変わらず重荷は残りますし、会議を開催した目的は果たせません。そこは私たちの意識を改善する必要があるようです。

■会議の終わりには

何故、私たちは会議で無口になるのか?
やっぱり、何事もなくスムーズにこなしている方がカッコ良いですし、すぐにヘルプを出すと出来ない奴と思われるんじゃないかと心配です。
「まあ、今度の会議までには何とかなっているだろう」との楽観視も手伝って、ついついダンマリを決め込むか、当たり障りのない報告に止めます。
しかし、その違和感は何となく現れるもの。
「◯◯さん、あなたの報告ではスケジュールは全く問題ないと書いてありますが、その割にメンバーの勤務時間が長くなっているようですね。実はトラブルがあるのではないですか?」
「え?そ、それは・・・。実は。」
「やっぱり!そう言うことは適宜報告してください。そのために会議をしているのですから。」
・・・
「天網恢恢疎にして漏らさず」とはよく言ったものですね。
でも、恥もかいて、多少評価も下げましたが、他の部署の詳しい人からヘルプを貰えることになりました。
おかげで、会議出席者氏も、またメンバーも取りあえずの重荷が下ろせてヤレヤレと言ったところです。
やはり、会議の終わりにはこうでありたいですね。
見えなかったものが見えるようになったり、パフォーマンスを下げていた重荷を下ろせたり、そうやって会議が終わったら、より元気よく働けるようになりたいものです。
やはり気の重い会議ですが、その時間をどう活かすべきか、一度ジックリ考えてみたいと思います。