今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分からの解放

(写真:那覇の海 その8)

■自分は、都合の塊

古来、人間の心を「機」と言います。
機械は、外から働きかけられて動き出します。同じように、私たちの心も外からの作用によってどうにでも動き出すので「機」と言います。
かなり前から「内観が大切」と言われています。周りに左右されず、自分とはどう言うものかをしっかり見つめなさい、と言うことです。
自分も周りからは、物事にあまり左右されないマイペース人間と思われているようですが、実態は外からの作用によって心がコロコロ動きます。
自分の都合の悪いときはネガティヴな思いにとりつかれていますし、都合が良いときはポジティブに心が振れます。
まさに、「機」だなあと思いますが、結局は自分の都合で振り回されているだけです。反省させられます。

■自惚れていたいだけの自分

私の心に常にあるのは、人より勝りたい、人から見下ろされたくないの思いです。
人より優れていると思えば、自尊心が満足します。人より劣っていると分かると、とても辛くなります。
つまり、自分は、と言うより人間は自尊心を食べて生きていると言えるでしょう。
思えば、野球選手が高い年俸を競うのも、豊かな生活のため以上に、年俸の額で球団からの評価を計ろうとしているのです。そして、高い提示を受ければ、「球団はチームメートの〇〇より俺を買っている」と思って安心します。
反対に、自分の方が活躍していると思っている相手より年俸の提示額が低ければ、たちまち激しい契約交渉が始まります。
それで、最後契約がまとまらずにFA宣言して、球団から飛び出す選手もいます。せっかくの生活の基盤を捨ててまで、高い評価をしてくれる相手を求めるのも、自尊心はそれだけ私たちの命だからです。
自尊心、分かりやすく言えば、自惚れ心です。
自分の実態はどうでも良いのです。
人より勝っていると自惚れられたら良い。だから、自分より劣っていると思う相手を周りに集めて安心しようとする。
しかし、豈図らんや、その中に優秀な人間がいて、地位を脅かされそうになると足を引っ張りだす。
自分の都合、それも自惚れていたいと言う心のため、常に忙しく動き詰めなのが、私の「機」の実態です。

■都合が真実を見えなくする

心は私たちのフィルターです。
外界からくる全ての情報は、かならず心のフィルターを通してしか見られません。
ネガティヴな気持ちの時は全てが色褪せて見え、ポジティブな時は全て輝いてみえます。
そして、私の心は自分が自惚れたい一杯なので、そのようにしか世の中が見えていません。
頑張っている人をわざと過小評価したり、ちょっとダメな人を必要以上に蔑んだり。
もちろん、それは心の中だけの作業です。外にそんな最低なところを晒したら、周りからどれほど軽蔑されるか。
でも、心では自分に有利なように、都合の良いように・・・と言うことは、より自惚れていられるように、情報を捻じ曲げて取り込もうとします。
結局、自分の自惚れ心を甘やかして、自分はこれで良いのだと楽をしたいのです。
だから、自分が人よりかなり遅れていても気がつかずに安心する。
結果、置き去られて、ホゾを噛んでいるのは自分一人と言うみっともないことになります。

■自分からの解放

前に進むには、この自惚れ心のフィルターを打ち破っていかねばならないのでしょうね。
だから、素直さが大事、謙虚さが大事と言われます。
相手の言っていることを、自分の勝手な思いを棄てて素直に聞いてみる。
自分では気がつかない大切なことを言っているかも知れません。自分のことだから分からない、でも人から見たら手に取るように分かる、それを教えてくれているかも知れません。
しかし、自分は相手に勝りたい一杯だから、ついつい物を教えてもらおうと言う気が起こらない。
それで反発して、随分と向上できる機会を棒に振ってきた気がします。
「こころこそ こころ惑わすこころなれ
こころにこころ こころ許すな」
と言われます。
「こころ」は自分の心だから、一番近い存在です。そして、自分を自在にコントロールします。
また、外からの働きかけにより、コロコロと変化して、そのたびに惑います。
だから一番厄介です。
ましてや、自惚れと都合の塊です。
この心を常に監視していないと、とんでもないことを始めます。
この心に惑わされず、客観的に付き合えてこそ、自惚れ一杯の自分からの解放ができるのだと思います。