今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

小さいうちにモンスターを倒す

(写真:プロペラ機)

■モンスターはひっそりと生まれる

モンスター、怪物、それは私たちの気づかないところで、ひっそり生まれます。
そして、どんな猛獣でも赤ん坊のうちは、無害で可愛く見えるように、モンスターも小さいうちはさほど怖い存在には思えません。
それで、ついつい野放しにする。
やりたいようにやらせてしまう。
そして、知らないうちにモンスターは少しずつ、少しずつ目立たないように育っていきます。
やがて、十分力を蓄えたモンスターは、うちに秘めた凶暴さを表に出して牙を剥きます。
そうして、初めて私たちは、モンスターの本当の恐ろしさを思い知るのです。

■モンスターが育つとどうなるか

このモンスターの怖いのは、私たちを自由に操ることができるところです。
しかも、私たちには操られている自覚が全くない。さらに、モンスターは私たちにどんな残酷なことでも、どんな浅ましいことでもさせることができます。
明らかに他から見たらおかしなことをしているのに、頭の中まで侵食されているので完全に本人は正気のつもりです。
そして、最後モンスターは、宿主である私たちまで滅ぼしてしまいます。その時、初めて正気に戻った私たちは、モンスターの本当の怖さを知ります。
深い後悔とともに。

■モンスターの正体

このモンスターは、私たちの心の中に生まれます。
そして、そのまま心に巣食って、静かに育ちながら力をつけます。
このモンスターとは何でしょうか。
それは、私たちの欲の心、怒りの心、そして恨みの心です。
このモンスターを密かに育てて身を滅ぼした人は歴史にも多く散見されます。
例えば、今「真田丸」でストーリー進行の中心になっている豊臣秀吉。
もともと秀吉は、殺生嫌いで調略による戦を得意としていました。
その秀吉のもとに諸将はなびき、やがて日本一国を手中にします。
ところが、その豊臣秀吉にもいかんともし難い深い悩みが生まれました。
それは、なかなか跡継ぎに恵まれなかったことです。
その中、寵愛する茶々姫が身籠りました。
慶喜する秀吉でしたが、そんな折聚楽第の壁に落書きがされました。
「他の男のタネをしこまれて喜んでいる関白こそ哀れなり。」
それを聞いて秀吉は激怒しました。
すぐに下手人を探させましたが、なかなか犯人は見つかりません。
そして、業を煮やした秀吉は、その時任に当たっていた門番だけでなく、同僚の門番たちまでも悉く磔に処したのです。
ドラマでは、石田三成が既に死亡した男を犯人に仕立てて、ことの収束を図ろうとします。しかし、それでおさまらない秀吉は、下手人の親類縁者まで探し出し、隣近所のものも含めて全て磔にせよと命じます。
さすがにこれには石田三成も「なりませぬ!度が過ぎます。」と諌めました。
ところが、さらに秀吉はその三成にも激昂。
「切腹せよ」と命じます。
そこへ見かねた北政所(おね)が割って入り何とかその場は収まりました。
ドラマの演出では多少柔らかめに描いていますが、史実はかなり過酷な仕置きが行われたようです。その後も秀吉は、跡継ぎに決めていた甥の秀次を、何のと難癖をつけて一族郎等女子供に至るまで滅殺しています。
あげくに、司馬遼太郎氏をして、殺生関白と呼ばせるまで晩節を汚してしまいました。
この秀吉の姿はまさにモンスターそのものですが、果たして彼が心に育てたモンスターとはいかなるものだったのでしょう。

■大切なことは育てないこと

豊臣秀吉が育てたモンスターの正体。
それは、まず「子供欲しや」、あるいは「子供可愛や」と愛欲に溺れたことです。
そして、それを悪く言われると、烈火の如く燃え上り手のつけられない怒りのモンスターとなります。
しかし、普通腹を立てても、関係者一同をみな殺しなどにはしません。それをしたのは、秀吉にそれができる権力があったからです。
わずか一代で尾張の百姓が天下人になる。
ドラマで秀吉の弟の秀長がいみじくも告白したように、「とても周りの変わりように心が追いついていない」のでしょう。
そして、急に手にした権勢を持て余し、民衆をはるかに見下げることでしか、その実感を得られなかった。
これは、出自のコンプレックスに相まって、驕り高ぶりに溺れたモンスターです。
秀吉は若い頃、ひたすら上を目指して努力しました。それはそれで、見ていてとても清々しく気持ちの良いものでした。
しかし、立場が上がるにつれ、生じたのが欲や自惚れのモンスターです。最初は自己顕示欲を満たしてくれる可愛いヤツだったかも知れません。
それが、最後は完全に凶暴化して、秀吉自身をたいへんなモンスターに変えてしまいました。
・・・
以上は、あくまで私の秀吉像です。太閤贔屓の方がおられたら申し訳ありません。
しかし、これで学びたいのは、私たちは誰しもモンスターになる可能性を持っていることです。
それは、環境や縁に応じて小さいモンスターや、大きいモンスターだったりします。
いずれにしろ、身を滅ぼされないよう、モンスターは大きく育てないことが肝要です。それには、身を慎んで、欲や怒り、妬み嫉みに心を縛られないようにすることが大切なのです。