今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

他力本願

(写真:山が紫に染まる頃)

他力本願じゃダメ?

同僚が言います。

「他力本願じゃダメだよ。」

(そうかなあ、自主的に動けておらず、指示待ちだったのかなあ。)
そう反省しました。
しかし・・・、つい口をついて出る、この「他力本願」。
果たして、正しい意味で使われているのでしょうか。
要は「人頼みじゃダメだよ」と言いたいだけです。それを、なぜ大仰に「他力本願」と使う必要があるのでしょうか。

仏教本来の意味

「他力本願」は、よく「自力」とセットで使われる言葉です。
例えば、優勝争いをしながら、終盤振るわなくなった野球チームに対して、

「いやあ、これで『自力』優勝はなくなりましたね。解説の◯◯さん、どうでしょうか。」

「やはりね、相手チームが負けるのに期待しているような『他力本願』ではダメですよ。自分たちの力で優勝しようと言う気概を持って貰いたいですな。」

と、言った使われ方をします。
野球放送なので、公共の電波に乗せて、立派な教育を受けたアナウンサーや、野球の専門家が喋っている訳です。
だから、それを聞いた人たちが、日本中で『他力本願』や『自力』をそのように使うのも、ある意味当然です。
しかし、これは『他力本願』の正しい使い方からはかなり逸脱しています。それだけでなく、その本来の意味まで損なっているのです。
『他力本願』とは、仏教の言葉です。
そして、正しい意味は仏教に確かめねばなりません。

他力間違いの悲劇

『他力本願』は、「他力」と「本願」に分けられます。
まず、「本願」ですが、これは「誓願」あるいは「約束」と言い換えられます。
仏教で「本願」は、仏覚を求めて修行している菩薩が必ず建てる約束を言います。

「もし、私が仏になりましたならば、必ず〜を行うと約束します。」

ですから、どんな仏様にも必ず本願はあります。例えば、お釈迦様なら500願、薬師如来なら12願、阿弥陀如来なら48願あります。
しかし、数ある諸仏の本願の中で、「他力本願」と言えるのは阿弥陀如来の本願だけです。
では、次に「他力」の意味を解説したいと思います。
「他力」は書いて文字の通り、「自分以外の力」です。そのせいか、自分の力で成し遂げることを『自力』、自分以外の力で成し遂げることを『他力』と使われます。
例えば、ニュースでも「雪崩にあった登山者が『自力』で下山した」とか。
おばあさんが、人の車に同乗してやって来た時に、「『お他力さん』で参りました」と言ったりします。
野球でも、『自力優勝』とか、『他力優勝』とか言いますしね。
しかし、本来の『他力』はそんなに軽い言葉ではありません。それを「人の力」とか「人まかせ」と言えば良いところ、敢えて『他力』と言う言葉を使うものだから、本来の重くて深い意味が損なわれているのです。

一番大切な言葉

仏教で『他力』と言う時の「他」とは、阿弥陀如来を指して言います。
つまり、『他力』は阿弥陀如来の力、そして『他力本願』は阿弥陀如来の力でなければ決して果たせないたいへんな約束を言います。
それはなんでしょうか。
人間はすごい生き物です。加速度的に進化していく科学の力によって、できないことをドンドンなくしています。
本来、生けとし生けるものは、いつも命の危険にさらされています。食事をしている時も、巣穴に潜って休んでいる時も。
ましてや、誰からも見えるところに身体を晒してうつらうつらなどできるはずがありません。
人間以外は。
それだけ人間は知恵と科学の力で絶対的に安心できる(と思い込んでいる)社会を構築し、脅威を排除してきました。
もはや、私たちの目に見える生き物で人間の脅威になるものはいません。やがて、ウィルスのような微細な生物さえも制圧される日が来るでしょう。
人間は努力して、安全で快適、かつ満足して生きられる世界を作り上げて来ました。しかし、それでも唯一超えられない壁を持っています。
それが、誰もが100パーセント逃れられない『死』です。
あの日本中を手中に収め、栄耀栄華を極めて、この世は思う様だった豊臣秀吉も、「露と落ち、露と消えにし我が身かな、難波のことも夢のまた夢」と辞世を詠んで儚く消えています。
そのように、どんな人間でも超えられない壁が『死』なのです。
その私たちの前に立ちはだかる巨大な死の壁を、現在うち破り、今から大安心大満足の身にすると誓われているのが、阿弥陀如来のお約束、つまり『他力本願』です。
つまり、人間がどんなに頑張っても超えられない壁を、阿弥陀如来の力だけが超えさせて貰える、だから『他力』なのです。
ここを間違えたら、仏教本来の目的が分からなくなりますし、だからこそ『他力』は仏教の一番大切な言葉です。
では、死の壁を超えるとはどういうことか、それもとても大切なことですが、これについては、また改めてお伝えしたいと思います。