今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

使って初めて分かる価値

(写真:ナイト・オブ・OSAKAステーション その1)

■デモ効果抜群、でも・・・

業界で有名なソフトウェアがありました。
なにしろ、10年以上前のこと、事務所で使う業務系ソフトは、あまりビジュアルな表現を出来ませんでした。
そこに来て、社員のスケジュールを時間ごとに分割してビジュアルに見せるのです。また、社員毎の仕事の負荷も分かりやすく見える化していました。
そのソフトが対象としている業界では、こなさなければならない仕事が日々山のように積み上がっています。そのため、まずは社員で手分けして、仕事を完遂することが最優先です。
しかし月末締めてみると、思った以上に利益が残っていないのです。
また、仕事は会社の敷地外で行われます。行ったら、行ったっきりで、後どう回しているのか事務所では把握しきれませんでした。
取り敢えず、仕事の山は片付いたけれど、人により偏りはないか、もっと効率的な回し方はないか、それを見える化することが業界の念願だったのです。
そこに来て、ビジュアルな画面で会社全体の仕事状況が一目で分かる、そんなデモを見せられたら、たちまちお客さんは、「これは欲しい」と心を掴まれました。

■使って初めて分かる価値

しかし、私たちが経験してきた通り、最初に見せられるのは、そのソフトにぴったりの業務のデモンストレーションです。
それでも、自社で効果が出るように思えて、早速、購入を前提に自社の業務を分析して貰います。そして、合わない部分の作り込みを依頼するのです。
しかし、会社の業務は百社百様、デモで見せられたようには、すんなりとは収まりません。
しかも、そのソフトで「業務効率を上げる」と社内に約束して始めた以上、業務をソフトに合わせると言う中途半端な妥協は許されません。結局、パッケージソフトをベースにしたものの、業務に合わせてあちらこちらと手を入れて、新規でシステムを構築できるくらいのお金がかかってしまったと言う事例をよく聞きます。
ソフトウェアは、家を建てるのとよく似ています。
家はモデルルームで「うわあ、住みたい」と心を掴まれて、多少の手直し前提で購入を決めます。しかし、その家が住みやすいか、住みづらいかは、実際に暮らし始めてみなければ分かりません。
ソフトウェアも同じように、実際に業務で使い始めて、使いやすいとか、使いづらいとかが分かるのです。
ですから、私たちは、デモンストレーションでの見栄えより、実際に使ってみて初めて良さを実感できるように作り込んで来ました。

■ずっと付き合うもの

営業さんからは、「もっとデモンストレーションで相手の関心を引くようなものは作れないか?」と言われます。
あるいは、展示会でも、パッと興味を持って貰えるような派手さとか。
しかし、見た目でパッと興味を引くものは意外に実戦では使われないのです。
業務は日々変化していますし、また百社百様です。ですから、特定の業務の効率化を想定して、目立つように作り込んだアプリケーションより、地味でも変化に対応できるソフトが現場向きです。
そして、私たちソフトウェアを開発するものは、お客さんの画面を見るのは開発している一定期間のみです。
対して、お客さんは、少なくても5年間、それこそ朝から晩までずっと睨むのです。
しかも、ソフトの種類によっては、事務所で何十人も使うことがあります。それだけ、お客さんにとって、多くの時間を一緒に過ごす製品です。
もし、それが使いづらかったり、あるいは目が疲れたりすれば、お客さんの業務に与える影響は大きいわけですし、また、人生まで変えてしまうかも知れません。(こんなソフトを使うのは嫌だから、辞めさせて下さい、とか。)

■だから手馴染み感を大切に

だから、お客さんに使ってもらうものは、よくその人の手に馴染んで、喜んで使って貰えるものであって欲しいと思います。
しかし、ソフトウェアはモノではないのに、手に馴染むって変ですよね。
「手に馴染む」は、服とか、筆記用具とか、あるいは、パソコンやスマホのような情報ツールとか、つまり手で実際に持って使うもので言われる言葉です。
ソフトウェアは、画面には表示されますが、実際には触れません。
でも私たちは、パソコンに画像で表現されたボタンと、実際の機械に取り付けらたボタンを、私たちは別物と認識しているでしょうか。
ならば、ソフトウェアにしても、ちょっとしたボタンや項目の配置、メッセージの出し方、また操作性で、実際の物と同様の手馴染み感をだすことが出来ると思います。
翻って、今は囲碁の世界王者を機械の棋士が倒す時代です。
どんどん効率的な部分や力作業の部分は機械に置き換えられていくでしょう。
私たちソフトウェア技術者は、機械にソフトで命を与える立場ですから、機械より上にいると思っていました。しかし、いつの間にか、機械が自分でソフトウェアを作って、自分で動き始めています。
こんな時代こそ、人間同士でしか通じ合えない手馴染み感や、使って分かる価値を大切にしたいと思うのです。