今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人を貶めずに自分に自信を持つのは、難しいけれど挑戦する価値がある

(写真:名駅上空 その3)

■下見て暮らせ

幸せになりたかったら、「下見て暮らせ」と言われます。
「もし世界が百人の村だったら」と言う有名なインターネットのチェーンメールがあります。
当時63億人だった世界人口を、100人の村に置き換えて、そこにどんな人が住んでいるかを分かりやすく教えています。
例えば、
『75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません』
とか、
『銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です』
とか。
びっくりするような内容ばかりで、また読み進めるうちに、今の時代日本に生まれただけで、どれだけ幸せになんだろうと有り難く思えてきます。
この日本では今、非正規雇用問題、少子高齢化、待機児童問題、老後破産、重い介護負担など、みな明るい未来が描けなくなっており、日々不安と心配を抱えて生きています。
確かに、手元にお金がなくなり、破産状態になったら生きては行けません。
しかし、破産状態になっても、世界にはそれより、ずっとずっと厳しい生き方を強いられている人の方が多いのです。

■幸せの本質

そうすると、今苦しくても、もっと苦しい人がいるのだからと、もう少し頑張ってみようと元気が貰えます。
だから、「下見て暮らせ」です。
自分より不幸せな人を見れば、今の自分の幸せをかみしめることができます。
反対に、自分より恵まれた人を見たら、今の自分が惨めで不幸せに思えます。
つまり、幸せは比べて初めて喜べるのです。
よく、お金持ちは良いなあと、うらやまれますが、ある人は「金持ちが幸せと言うのは、なっている人が少ないから、みんながそう思っているだけ」と言いました。
確かに、お金持ちは、私たち一般のものよりは恵まれています。街中を高級車で快走する時の気持ちは、爽快でしょうね。なにしろ、私たち大衆車しか買えないものが、みな羨望の眼差しで見るのですから。
しかし、お金持ちの生きている世界は、私たちの生きている世界とは違います。周り中を同じお金持ち達が取り囲んでいて、同じくらいのお金持ちもいれば、もっともっと大富豪もいるのです。
だから、一般の庶民の前では裕福なことを誇れても、お金持ちの社会では当たり前。むしろ、惨めな思いをすることも多いでしょう。
幸せの本質とは、それ自身で喜べるものではなく、人と比べて初めて喜べるものなのです。そして、人と幸せの量を比較しては、浮いたり沈んだりを繰り返しています。

■人の人生を生きていないか

幸せになるのは簡単だと言います。
それは大勢の人を集めて、口々に「いかに自分は不幸か」を語らせるのです。
そうすると、「こんな人もあるのか」と、不幸だと思っていた今の境遇が幸せに感じられてきます。
本当に、「幸せ屋」と言って、自分の不幸せを語ることにより、人に幸せを感じさせる商売ができそうですね。
しかし、現実に周りを見回してみると、同じような境遇の、同じような人たち。
幸せも、不幸せも、だいたい似たようなものです。その中で、評価を争い、異性を争い、より名誉を得ようとツノを突き合わせています。
そうすると、似たもの同士、どんぐりの背比べで、後はちょっとした差で浮いたり沈んだりをしています。
友達ばかりが評価されたら悔しくて落ち込む。自分の持ち物がちょっと良かったら、少しだけ得意で、浮いた気分になる。
挙句は、無意識に、人のダメなところ、ダメなところを探すようになる。
要は、自分が努力して人より抜きん出る努力を惜しんで、人を貶めることで安心したい心があります。
しかし、そうやって人ばかりを見ているから、自分がおろそかになっているのです。
人ばかりを伺って、いつの間にやら、自分にとって一番大切なことを忘れていたら、それは自分ではなく、人の人生を生きていることにならないでしょうか。

■自分の人生、自分の価値

よく、不器用な人は幸せだと言います。
それは、器用な人と違ってあまり周りを見ている余裕がないからです。
いや、周りを見なかったら、すぐにゴツゴツとぶつかって痛い思いをするのでないの?
確かに、そう言う面も有ります。
人がしなくて良い苦労をしているから、たいへんだなあと思います。
しかし、反対に人に煩わされないとも言えます。
人が見え過ぎると、その一挙手一投足が気になります。ましてや、自分と拮抗している相手なら、すぐに勝った負けたと心がざわつきます。時に、相手のやり損ないを横手を打って喜んでさえいる。
果たして、その中不器用氏は、ただ自分のことに集中して進みます。
まるで、ウサギと亀の寓話で「ウサギは亀を見て、亀はゴールだけを見ていた」と言われるのと、よく似ています。
不器用だから、あまり速くは進めないでしょう。でも、自分の本分に集中するから、全ての力を注ぎ込むことができます。
器用な人が、軽く見て安心しているうちに、不器用な人はひとりでグングン進んでいきます。そして、気がつけば皆より遠くまでたどり着いていたりします。
「人を貶めずに自分に自信を持つのは、難しいけれど挑戦する価値がある」
不器用だけれど、それ故に人を貶める暇なく自分を磨いた人は、本当の自信を手に入れます。
そして、自分の人生で、自分だけの価値を手に入れるのです。