今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

身体の芯からチャレンジャー

(写真:名駅上空 その2)

■チャレンジャーは治らない

「うわ、チャレンジャーやね。」
そんな言い方をされることがあります。
怖かったり、気難しい人に、つい不用意な言葉を発して、勘気に触れてさんざん叱られる。
周りはそれを見ていて、またやってるよ、と思う。
「地雷はさ、見てれば分かるだろ。なぜ、ワザワザ踏みに行くなかあ?」
「いや、別に普通にしているだけなんだけど。」
「何でも、心に思ったことをそのまま口に出すから失敗するんじゃないか?」
「そりゃ、自分が良いと思ったことは、どんどん提案したいじゃない。」
「だから、そう言うのをチャレンジャーと言うんだ。なんで、あえて怒られるように、怒られるように、危険な所へ自分を持って行く訳?」
と言われても、普通にしているだけだし、自覚がない。だから、チャレンジャーと言われても治しようがないのです。

■空気が読めないだけ?

よく言えば、チャレンジャー、悪く言えば、単に空気が読めないだけ。
なぜ、空気が読めないのか?
それは、頭の中が自分の思いや考えで一杯に満たされているからではないでしょうか。
だから、人のことを考えるスペースが脳みそに無いんだと思います。
人と話していても、ついつい自分の話ばかりになっている。
自分がこんなことを考えたんだとか、自分はこうしたいんだとか。
ハッキリ言って、相手には申し訳ないと思います。なぜなら、延々と人の話を聞かされるほどツラく、退屈なことはないのだから。
よく作曲家のエピソードで、友人と食事をしている時でも、新しい旋律を思いつくと、メニューの裏側に5本線を引いて音符を書き込んだとか。一緒に食事をしていた友人は完全に置いてけぼりで、作曲家のすることを見ているしかない。
もう頭の中がメロディで一杯だったんでしょうね。だから、友達を気遣って会話をする余裕なんかありはしないのです。
天才には、ときどきこんな傍若無人なことをする人がいます。というより、それだけ脳を一点に集中して動かせたから天才なのかも知れません。
そして、天才はそんな傍若無人ぶりが許されるから、つくづく良いなあ、と思います。
しかし、天才ならぬ私はどうしたら良いのでしょうか。

■叱られてもメゲない

天才でないから許されない。
不用意なことを口にすると叱られる。
しかし、頭の中は自分のことで一杯一杯で、周りの空気を読んで行動することができない。
いつも、「ああ、面倒くさいなあ」と言うより、やらねばならない時に気が重くてならないのが、話し合いや調整です。会議とか、苦手でなりません。
それも、自分の特性を考えたら、なんとなく腑に落ちます。
要は、自分の頭の中が考えやアイディアで一杯だから、相手の言うことを入れている余裕がないのです。その代りに、早くアウトプットしなければ、せっかくのアイディアが逃げてしまう、そんなことばかりを考えています。
それならそれで、今更こんなところでこんなことを言っていないで、もっと若い頃から、ちゃんと努力してひとかどのものになっておくべきでした。
しかし、今から生き方は変えられません。
空気を読んでスマートに、上手く相手の気持ちを考えて発言したり、行動したりする・・・それができないから、自分が持っているもので勝負するしかないのです。
だったら、そこは叱られないように、叱られないようにではなく、あえて叱られて軌道修正して貰うくらいの気持ちでちょうど良いのかも知れません。
ただ、叱られてもメゲナイ。
本当は、
「この年になっても、未だにこんなことを言われている情けない自分」
そう考えて落ち込みます。
しかし、年を取ったからと言って、人間失敗しなくなるものでしょうか。
むしろ、下の人が増えてきて、うるさい事を言わなくなっただけでないか。
だから、今でも言って正して貰える自分は幸せだと思います。

■思い切りぶつかり、小気味好く叱られる

ならば、力の出し惜しみをせずに、力一杯ぶつかた方が良いかも知れません。
そして、「また、チャレンジャーだね、いや、ますますチャレンジャーだねえ」と言われても良い。
当然、チャレンジャーは治らないので、しっかりカミナリを落とされます。
しかし、同じ叱られるにしても、小気味好く叱られたい。
雨なら、しとしとと降る時雨よりも、サーッとバケツをひっくり返したように降って、サーッと上がる夕立のような雨が良い。
ひとしきり叱られたら、しっかりと受け止めて、取り敢えず、それはそれで終わり。
お互い後に残さない。
では、どうしたら、そんな叱られ方ができるのでしょう。
普通、叱られたら、ウジウジとした感情が残り、立ち直るには時間がかかるものです。
しかし、その間モチベーションを下げてしまうのは勿体のないことです。
そもそも、真剣にぶつかって来る相手には、応じる方も真剣にならざるを得ません。
中途半端な相手は、顔にまとわりつくハエを追うような対応になります。
ならば、しっかり叱られるかも知れないけれど、しっかりとぶつかる。
激しく叱責も受ける分、その指導は明確で小気味の良いものでしょう。
最後は「有難うございました」で終わりたい。そして、もう次に進めるのです。
そう、自分のモチベーションは自分で守る。
これは、不器用な私の理想の生き方です。
そして、一歩でも近づくように日々努力したいと思っていることです。