今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

結論を急ぐと小さくなる

(写真:日本最大プラネタリウムの心臓)

■お釈迦様と孫悟空

「お前は誰だ!」
怖いもの知らずの孫悟空が怒鳴りつけました。
「わしは、釈迦牟尼仏じゃ。そう言うそなたは誰じゃ?」
お釈迦様が返答されます。
それに、得意になって孫悟空は答えました。
「聞いて驚け、この俺は斉天大聖孫悟空様だ。」
「ほう、そなたが斉天大聖とな。ならば、どれほどの力があるのか見せてみよ。」
「このキン斗雲に乗れば、たちまち万里をひとっ飛びだ。」
「そうか、ならばわしの手のひらから飛び出せるかな。さすれば、名実ともに斉天大聖と認めよう。」
そう言ってお釈迦様は手のひらを差し出されました。
「そんなのお安い御用だ。」
ヒラリとお釈迦様の手のひらに飛び乗った孫悟空は、またキン斗雲を呼び、たちまち手のひらの上から万里の彼方に飛び去っていきました。
一飛びで万里、二飛びで二万里、三飛びで三万里・・・もうだいぶ飛んだと思ったときに、前に大きな五本の柱が見えてきました。
「ははあ、これが地の果てだな」と得心した孫悟空は、如意棒を大きな筆に変じて、真ん中の柱に「斉天大聖、ここに周遊す」と書きました。さらに、小便までひっかけて、意気揚々とお釈迦様のもとに帰っていったのです。

■孫悟空の知恵

戻った孫悟空は、得意げにお釈迦様に報告します。
「どうだい、俺の力は。あんたの手のひらはおろか、地の果てまで行ってきたぜ。」
「ほう。して、地の果てはどうであった?」
「大きな五つの柱があって、その真ん中に『斉天大聖、ここに周遊す』と書いてきたから、嘘だと思うなら見に行ってきたらいい。」
「ほう・・・孫悟空よ。それは、こんな柱ではなかったかな?」
そう言ってお釈迦様は、ご自身の手のひらと5本の指を孫悟空に見せられました。
なんと、それは悟空が地の果てで見た柱そのものでした。しかも、中指には「斉天大聖、ここに周遊す」と書かれているではありませんか。
地の果てまで飛び出した気になっていた孫悟空でしたが、お釈迦様の手のひらの上をグルグルと飛び回っていたのです。
「所詮、猿知恵じゃのう。さあ、小便ザルよ、もう二度と悪さができぬよう封じてくれよう。」
お釈迦様はそう言って、ご自身の指を五つの山に変えられました。そして、慌てて逃げ出そうとしている孫悟空をその下に封じ込めたのです。

■手のひらの知恵

これは、有名な西遊記のエピソードの一つです。
地の果てまで飛び出したつもりの孫悟空でしたが、所詮はお釈迦様の手のひらの上をグルグルと飛び回っていたと言うオチです。
これはお釈迦様と孫悟空の知恵の差です。
知恵のないものは、何でも自分の知恵の及ぶ範囲で考えて、結論を出そうとします。
だから、孫悟空はお釈迦様の手のひらにいることが分からず、勝手に地の果てに来たと思い込んだのです。
つまり、孫悟空の宇宙観は、お釈迦様の手のひらの広さにも及ばなかったことになります。
そして、これは私たちにも深い示唆を与えてくれます。
なぜなら、私たちも自分の知恵の及ぶ範囲でしか物が考えられないからです。いわば、手のひらの上の知恵しか持たないのです。
これは、私たち凡夫とお釈迦様ほどに知恵の差が開いている場合に限りません。
たとえば、先輩と私たち、上司と私とかで、いつも経験していることです。
上司から、「これについて意見をまとめよ」と依頼を受けたとします。
すると私たちは、どうしても自分の知恵や経験の中で、組み立てて結論を出そうとするのです。
早々とまとめて、「さあ、早くできたから褒められるぞ」と得意げに提出すると、途端に上司の顔が曇ります。
そして、「いや、言い方が悪かったかも知れないが、何も変わっていない。これでは、今までと同じ結果しか望めない。時間がかかっても構わないから、これまでと違う視点で取り組んで欲しい」と言われてしまいます。
つまり、ダメ出し、やり直しです。
まるで、お釈迦様の手の上を、所詮手のひらと甘く見て勇んで飛び出した孫悟空です。
私たちも、上司の手のひらの中でグルグル回っているように見えたことでしょう。

■目的に合わせて熟考する

「拙速をもって尊しとなす」と言いますが、この場合は当てはまらないようです。
なぜなら、よく上司の意図を理解せず、自分の思いだけで動いているから、せっかくかけた時間が無駄になっているのです。
孫悟空も、「手のひらから飛び出してみよ」と言われた時、お釈迦様の意図を考えるべきでした。
(オレの力を分かっているはずなのに、たかだか手のひらから飛べとはおかしいぞ。絶対なんかあるな)とか。
そうすれば、安易にお釈迦様の手のひらに飛び乗らず、一目散に逃げて難を逃れたかも知れません。
ついつい、私たちは結論を急ぎたくなる。
そうすると、自分が分かっていることだけで小さくまとめようとします。
しかも、それは相手の意図に十中八九そぐわず、自分の知恵の中でグルグル回って終わります。
しかし、相手の意図を正しく理解したなら、自分の経験や知恵で対応できるか、できないかが分かります。そうしたら、一生懸命勉強をしたり、力を貸してくれる人の協力を求めます。
そして、自分の知恵や経験の壁を破り、仕事の成功とともに、新しい世界が開けるのです。
優れた音楽クリエイターの人は、映画音楽の依頼を受けた時、安易に自分の手持ちの楽曲を提供しないそうです。
曲を提供する映画の映像を繰り返し見て、さらにその世界観のもとになっているものまで学んでイメージを作り上げます。
優れた人ほど、相手の世界観や意図との擦り合わせを怠らない。
おおいに学びたいことです。