今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

できない時はできないように、できる時はできるように人は適応する

(写真:生命大進化展 その9)

■何故、現状を変えられないか?

気がつけば、もう10年が経っている。
時間は経ったが、変わったのは歳を取ったことと、環境が変わってますます肩身が狭くなったこと。
しかし10年前は、もう少し何とかなれると思っていた。
この10年間、なんとか自分なりに頑張ってきたつもりだったけど、現実は何もできていないし、何も変わっていない。
人生は無情に過ぎてしまい、いつの間にか残り少なくなっている。
・・・自分の人生を振り返る度に、そんな気持ちに苛まれます。
「少年老いやすく、学なり難し」
時間は経ちやすく、かつて目指していた目標には遠く及んでいません。
しかし、よくよく周りを見てみれば、確実に実績を積み重ねて人生を変えた友人がいます。
10年前は、同じところに立っていたのに、僅かな間で大きく差がついてしまった。
その原因は何でしょうか?
能力の差か?生まれた星の下が悪かった?
いえ、いえ、彼は少しづつでも自分を変える努力をしたのに、自分は現状に甘んじて変えることができなかった、それだけのことです。

■コンフォート・ゾーン

自分も自分なりに努力をしました。
ただ、それは現状維持のための努力です。
昨日できていたことを、今日もできるようにする。そして、明日もできるようにする。
それは、もちろん簡単なことではありません。そして、それなりの努力も必要です。
ですが、今日している10の努力を、明日11に増やしてみる。そうすれば、少しづつでも変化が生まれます。そうして、生まれた少しの変化を積み重ねて、最後大きな収穫を手にすることができます。
要は、ずっと10の努力に甘んじて、わずかプラス1の努力を惜しんだのです。
怠け者だからでしょうか。
いいえ、今の10の努力で維持している10の成果が、とても心地よかったからです。
その心地よさにドップリと浸かっていたので、僅かでも行動を変えてその心地よさを壊すことを恐れたのです。
例えば、今まで18時で帰ることができた人が、より仕事の成果を求めて19時まで頑張ろうと思ったとします。
毎日、18時で帰宅できたら良いですね。当然、生活リズムもそれなりに出来上っています。そんな人が、あと1時間頑張って働こうと思えば、幾つかのものを手放さねばなりません。
人間は、気持ち良く生きるのが最良ですし、またそれを維持したいと願います。だから、一度コンフォートゾーンに身を置くとなかなか抜け出せなくなります。
しかし、それは本当に自分にとって最良の状態でしょうか。
単に、もっと良い世界を知らないから、それを最良と思い込んでいるだけではないでしょうか。言わば、仮初めのコンフォートゾーンです。
そして、そこから抜け出るためには、自らの行動を変える努力をしなければなりません。

■変えるように行動する

もっと、自分は良くなれる。
皆んな本当はどこかで分かっています。
今は、心地よいコンフォートゾーンに身を置いていても、いつまでもそれが許されないことを知っています。
しかし、人間の知恵は、比較相対のものです。自ら情報を集める努力をしなければ、比較して自分を分かることはありません。
頑張っている人から学ぶ、結果を出している人を研究する。
でも、それはとても辛いことです。
何故なら、それは自分の今いるコンフォートゾーンの否定につながるからです。
お山の大将でいられたら、気持ち良い。
狭い世界でもナンバーワンなら、自尊心を保てる。
外に目を向け、先駆者を研究することは、今の自分を否定され、寒々とした外界に放り出された気分になるから、とても辛いことなのです。
しかし、自分だけ狭い世界で満足していても、周りはそれを許してはくれません。
まるで、村で唯一つの商店が、ライバルがいない時は安定経営できても、隣町に大きなスーパーができた途端、たちまち立ち行かなくなるようなものです。
時代は常に動いています。コンフォートゾーンは、期間限定の仮初めの空間です。
そして、それを常に意識するために、外に意識を向け続ける努力が必要なのです。

■スイッチをどう入れるか

そうして、「今の自分ではいけない」とモチベーションを高めることができたとします。
そうすれば、少しは意識的に自分を変えようと努力するかも知れません。
そして、自分の行動計画を立てる。
行動をリストアップして、見えるところに貼り出す。
あとは、着実に実行を・・・と行きたいところですが、せっかく作ったリストは長い間放置され、スッカリ変色しています。
つまり、リストはできましたが、それを作っただけで満足し、スッカリ「死にリスト」になっているのです。
実際、動き始めたら、当初の想定通りにうまくいくはずがありません。動いては、現実の壁にぶつかり、リストの修正を迫られるので刻々と姿を変えます。
これが、「生きリスト」です。
「死にリスト」は、リストはあっても、実際に活用されず行動の指針になっていない、だから、「死に」です。
そして、具体的な行動に繋がらないので、私たちの現状もずっと変わることは有りません。
変えたいと思ったら、具体的に動く。具体的に動くためには、「いつ」「どこで」「どうやって」「誰と」と細かいところを詰めねばなりません。
そのように細かいところに落とし込めないのは、実際のアクションに気持ちが行っていないからです。
実際のアクションにつなげる、つまり「スイッチを入れる」。自他共に、まずはどうスイッチを入れるか、これが最大の課題です。
コンフォートゾーンに甘んじている私たちは、どうしてもスイッチを入れて前に進むのを躊躇います。しかし、一度スイッチが入れば、行動までは後一歩です。
「できない時はできないように、できる時はできるように人は適応する」
コンフォートゾーンを抜けて歩き始めたら、もうそれが当たり前になります。
そして、一歩ずつでも前進できれば、必ず未来は動き出すのです。